社友のお便り

2019年05月17日 社友のお便り

私の愛車遍歴

市村 雅博 (1972年)

まえがき


筆者近影

 
 若い頃からクルマが好きだった。かと言って、ボンネットを開けて油まみれになるのは苦手だったので、もっぱらFUN TO DRIVE、好きな音楽を聴きながら、ひたすら走ることが好きだった。そのきっかけは、今から60年ほど前に、やはりクルマ好きだった父親に、晴海で開かれた「全日本自動車ショウ」に連れて行かれたことだったと思う。 
 そんな父親が大奮発をして最初に購入したのが、「日野コンテッサ900」というクルマだった。今思えば、特に高級車ではなかったが、当時の日本車としては、洗練されたデザインのスマートなクルマだった。その後も父親は何台かクルマを乗り換えたが、小さな印刷屋を自営していたため、残念ながら、我が家のその後のクルマは、いずれも軽トラックやライトバンの商用車ばかりということになった。



米国駐在中の愛車と、帰国後の遍歴、英国時代のクルマの話

  時が経ち、丸紅に入社後の1979年から85年まで、米国ニューヨークに駐在することになった。着任後すぐに購入したのが、シボレーの「マリブ・クラシック」。オイルショックの後で、米国でも一時より燃費を気にし始めてはいたが、それでも、4.8ℓのV型8気筒エンジンを搭載していた。ボディは、ベージュとブラウンのツートンカラー、さすがにガソリンは食ったが、ゆったりとしていて、何よりも、初めて自分が家族のために購入したクルマということで、愛着もあり、結局、帰国するまでの6年間乗り続け、ナイアガラの滝、ワシントン、ボストンなどへのロングドライブやロングアイランドでのサマーキャンプ、ニューハンプシャーでのスキーキャンプなど、遠出も大いに楽しんだ。幸い、その間、アメ車に有り勝ちな大きなトラブルはなかったと記憶している。

 1985年、帰国して、2台ほど、「カリーナED」というトヨタの小型車に乗った。今だったら、「ED」というネーミングは絶対にあり得なかったと思うが、当時は、まだ男性機能障害は、違う言葉で表現されていたのだろうか。トヨタが言うところの「ED」とは、「Exciting Dressy」という造語、テレビCMのキャッチコピーとしては、「貴方は、交差点で止まった時、ショーウインドウに映る自分のクルマの姿にうっとりしませんか?」という類のもので、確かにお洒落好きな若者向けのスマートなデザインのクルマだった。

 その後、1995年頃、購入したのが、日産の「シルビア」という、フロントとリアに羽の付いた、今思えば何とも派手なクルマだった。その一代前の「シルビア」はそれこそ、暴走族御用達のようなイメージがあったが、それと比べると、大分おとなしくなってはいたとは言え、クルマのサイズの割にエンジンは2ℓ、160馬力と強力、かつデザイン的には走り屋のイメージを引き継ぎ、実際に、乗っていて楽しいクルマだった。そうは言うものの、シルビアを含め、ここまでのクルマ選定については、とにかくスピードや加速を楽しむというよりは、意外とおとなしく街中での運転のし易さや小回りを楽しむという傾向の方が強かった。

 その流れは、97年からの2度目の海外駐在地、英国ロンドンでも続き、購入したクルマは、「BMW320i」だった。2ℓ、150馬力ということで、それほど高出力ではなかったが、6気筒特有の余裕のある走りを楽しめる良いクルマだった。それにしても、この時、一番驚いたのは、英国ではベンツよりBMWの方が、遥かに自動車保険料が高いということだった。

クルマの趣味に若干の変化


2003年4月 ホンダ・セイバー

   2002年の春に帰国して、すぐに購入したのが、米国ホンダ製の逆輸入車「ホンダ・セイバー」。ディーラーの前のスペースに実車が展示されており、「納車まで1週間」というのが何よりも魅力的であった。今思えば、当時、少しは懐具合が良くなっていたのか、それまでよりは高級車に乗ってみたいという思いもあった。件のセイバーは、3.2ℓ、260馬力と、強力なエンジンと本革シートの高級仕様で、様々な最新の技術も搭載されていた。さすがに乗り心地が良く、都合7年余りと、国内外合わせ、我が家では一番長い間、お付き合いをするクルマとなった。
 このクルマに乗っていた頃の最大のエピソードは、お堀端を走っていて桜田門の前で、オートバイに追突されたことである。警視庁の玄関で警備をしていた警官が3人ほど飛んで来て、「すぐに110番に電話して下さい。」というので、「えっ?」と言ったら、この地区の交通事故の管轄は、麹町警察署だということだそうだ。幸い相手がオートバイだったことに加え、スピードもあまり出ていなかったので、相手方もこちらも特に怪我もなく、大事には至らなかったが、驚きの警視庁の対応だった。

「スカイラインGT」の時代


2010年8月 スカイライン250GT

 
この辺りから、私のクルマ遍歴は、より一層、趣味の世界にのめり込むことになる。その発端となったのが、2010年に購入した日産の「スカイラインGT」、それも真っ赤なGTだった。2.5ℓ、225馬力。同年代の社友であれば、まだ我々が若かった頃のクルマブームを覚えておられると思うし、中でも「スカG」は、同年代にとって「憧れのクルマ」のひとつであったことを、しっかりと記憶されているものと思う。私にとっても、当然のように、一度は乗ってみたい憧れのクルマであった。


「フェアレディZ」の時代


2014年2月 フェアレディZ

   走りの趣味が更に高じて、買い替えを考え始めたのは、「スカイライン」に乗って3年ほど経った2014年の秋頃だった。憧れの「スカイライン」を楽しんではいたものの、エンジンは、2.5ℓ。何となく、自分でも不完全燃焼だったのかも知れない。結局、次に購入したのは、同じく日産の、真っ赤な「フェアレディZ」。こちらは、3.7ℓ、336馬力。文字通りのスポーツカーである。もちろん、これも若い頃からの憧れのクルマ。エンジンのパワーも、そして価格も、私の手が届く最高レベルのものだった。60代のうちに乗らなければと、当時は、何だか居ても立っても居られない気持ちになって、購入することにした。ディーラーに言わせれば、フェアレディの最近の購入者は、50-60代が圧倒的であるとか…。私の年来の走りの趣味を十分に満足させてくれる名車であったが、何しろタイヤは、前輪後輪ともにびっくりするほどの超幅広扁平タイヤ。おかげで地面の凹凸をしっかり拾うために、街中での走行は、お世辞にも快適とは言えなかった。


2013年12月 フェアレディZ

 

 それでも、高速道路の追い越し車線を走っていて、前のクルマに近づいていくと、早めにレーンを空けてくれることの多かったのが、このクルマの最大の特徴であり、ドライブの醍醐味でもあった。ただ、決して「あおり運転」とならないよう、より一層注意して走行していたことだけは申し添えておきたい。




初めてのSUV「トヨタ・ハリアー」の時代


2017年11月 トヨタハリアー1

   60代のうちは、そのままZに乗っているつもりだったが、2人乗りでゴルフバッグも1個しか詰めないという難点があり、3年ほど乗ったところで、今流行のSUVに乗ってみたくなった。そこで、2017年の暮れ、今度は、トヨタの「ハリアー」という定番のSUVに乗り換えた。2ℓのターボエンジンを搭載しており、231馬力を発揮、走りにも余裕があり、私は大いに気に入っていたのだが、購入して4か月ほど経ったところで、私自身が「すい臓がん」という重篤な病気に罹り、もっぱらクルマを運転することになった家内が、「ハリアーは大き過ぎて、取り回しが大変だ。」と言い出したため、抵抗することもままならず、購入後僅か1年余りの2019年2月、買い替えを余儀なくされた。今回は、これまでの買い替え理由とはやや趣が異なるものとなったが、そこには新車購入で、私自身がもう一度元気を取り戻そうという発想もあった。

コンパクトSUV「ホンダ・ヴェゼル」の時代


2019年4月 ホンダヴェゼル2

   次のクルマは、ホンダの「ヴェゼル・ツーリング」。1.5ℓ、132馬力のターボエンジン付きガソリン車だが、コンパクトSUVというジャンルで、街中での取り回しが極めて容易なのが特徴である。色は、もちろん真っ赤。年初にディーラーに飛び込んだところ、「今度出る予定の新しいターボ車がありますよ。」と言われ、同時に「ハリアー」の下取り価格も他のディーラーと比べて群を抜いていたので、即決に近い形で購入を決めた。このクルマにこの後どのくらい乗れるかは分からないが、少しでも長くドライブを楽しめるよう、根気強く闘病を続けたいと思っている。
 
 なお、今回の「ハリアー」の時もそうだったが、クルマの買い替えなどで、愛車を下取りに出す際、いわゆる一般の耐久消費財を廃棄する時と違って、必ず後ろ髪を引かれるような独特な寂寥感に襲われることがある。これは、その昔、武士や農民が、愛馬と別れる際に感じる寂寥感と通じるものに違いないと、勝手に想像している。


 最後にもうひとつ余談を付け加えたい。昨今、高齢者の起こす事故が目立ち、免許証の早期返納の議論も喧しい。私自身、免許証を取得して50年、多くの高齢運転者と同様、運転には自信を持っている。それでも、自分で運転に自信が無くなったり、あるいは、家族から運転ぶりが変わって危ないと指摘されたりするようになったら、意地を張らずに返納しようと思っている。

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 それにしても、運転者の年齢に拘わらず、事故原因で最も多いのは、ブレーキとアクセルの踏み間違いである。これに対して、私が提唱したいのは、右足のかかとを床から離すことなく、アクセルとブレーキを踏み分ける、「ワイパー型運転法」である。通常走行中は、右足でほぼ真っすぐにアクセルを踏み込んでいるものだが、ブレーキを踏む必要が生じた場合、かかとを床に付けたまま、ワイパーのようにつま先を左方にひねりながら、ブレーキを踏むことにより、ブレーキを踏んでいる状態では、かなり窮屈な姿勢を続けることができる(写真参照)。慣れの問題であり、肉体的に極端に難しい運動でもない。


 一方で、この窮屈な姿勢の記憶こそが、ブレーキとアクセルを踏み間違えない最大の要因となるのである。もちろん事故を起こすとパニックとなり、頭の中が真っ白となって、理屈通りにはいかないことも多いと思うが、右足のかかとを上げ下げしてブレーキとアクセルを踏み分けている人がかなり多いことを聞くにつけ、高齢者の皆さんにはぜひ「ワイパー型運転法」を試していただきたいし、警察でも一度これを指導してみては如何かと考える次第である。


 いずれにせよ、クルマは一歩間違ったら、まさに走る凶器である。今後も、その意識を強く持ちながら、事故を起こさぬよう、注意深くドライブを楽しみたい。


(いちむら まさひろ・1972年入社・千葉県柏市在住)

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