新春企画

2021年01月01日 新春企画

世の流れを丸紅と共に

横井 時久 (1961年入社)

筆者近影

 明けましておめでとうございます。丑年生まれの私が今年の8月で84歳になるなど考えてもいませんでした。学生時代を終え社会に入ってからの人生はほとんど丸紅がらみでした。それが今も続いています。
 大学4年のときゼミの先輩から「丸紅は伸びる会社だから面白いよ。来ないか」と言われて1961年に入社しました。同期は330名でした。最初の配属は業務部企画調整課でした。当時の為替は1ドル360円。経済が大きく成長している時代で、重化学工業の推進、脱繊維が合言葉でした。営業部門から上がってきた稟議案件をまとめて常務会の資料を作る担当になりました。あらゆる産業分野で、成長過程の企業が商社金融を利用して機械を延払いで買う案件が多くありました。やがて稟議の事前審議会制度ができました。1964年10月1日から24日まで東京オリンピックが開催され、これに間に合わせるように東海道新幹線が東京から新大阪まで開通しました。新幹線ができる前は大阪への出張は夜行列車を使っていました。

 入社4年目に物資部に配属となりました。倉敷レーヨン(クラレ)が人工皮革クラリーノを開発し、共産圏向けの輸出をまかされました。ソ連(ロシア)との取引はダミーの日本海貿易を通じて行われていましたが、ようやく直取引が認められた頃です。当時のモスクワ事務所はウクライナホテルにあり、通信はロンドン経由のテレックスでした。ソユズプシュニーナ(毛皮公団)とクラリーノの原反100万平方米の成約ができ、この出荷の後倉敷レーヨンは岡山に工場を増設しました。
 海外勤務の希望を長い間上層部にアピールし、9年目にニューヨーク勤務となりました。当時の商社は靴の対米輸出で重要な役割を果たしており、三菱商事、伊藤忠、住商、丸紅が競っていました。産地は日本から韓国、台湾に移り所謂三国間取引となりました。しかし、品質クレームが多発し各社とも靴の対米輸出から撤退しました。この頃運動靴に商標を付けて世界市場に売り込むブランド戦略が主流となり、アディダスに次いでナイキ、ニューバランスが台頭しつつありました。ナイキの創業者のフィル・ナイト氏との接触が叶い、中国からの供給を丸紅が提案し、ナイキ側のメンバーのビザを丸紅が手配し、ナイキと丸紅の合同チームで、中国の公団を訪ねたことがあります。しかし、まだ品質、輸出体制等の面で中国は時期尚早であり、すぐには成約に至りませんでした。ニューヨーク駐在は通常5年でしたが、1971年のドルショック、1973年と1979年のオイルショックで世界経済が疲弊している時代で、社内の人事異動が凍結され、結局7年駐在しました。業績面で会社に貢献することができず悩みました。
 日本に帰ってしばらくは同じ分野で働き、1985年に会社が統轄部門制を採用したとき物資総括部に異動し、以後、3名の統轄役員の下で10年が経過し、退社の時期を迎えました。顧みると、社内ルールを順守していれば、大幅に仕事を任せてもらえる社風が好きでした。反面、上へのタイムリーな報告が大切であることを幾度か経験しました。そして稟議の段階から関係していた栃木県にあるスキー場ハンターマウンテン塩原の経営責任者に1995年に就任し7年間務めることになりました。当時は大手企業がゴルフ場やスキー場に投資することが企業イメージを上げるのに役立っていましたが、ITの普及で若い人が遠ざかり、次第にこの分野はノンコア事業となってゆきました。

 2002年初頭、人材派遣会社パソナの顧問会で、シニア層を活用する組織の設立が検討されてディレクトフォースという法人ができ、そこの事務局を務めました。このディレクトフォースは現在はパソナの系統から離れていますが、社会貢献、自己研鑽、企業支援を三本柱とし、約600名のメンバーを抱えるしっかりした組織になっています。今年で19年目、来年で20周年を迎えます。初代、第3代、第5代の代表を丸紅OBが務め、現在のメンバーには丸紅出身者が31名いて活躍しています。また、各大手企業の出身者がおり、幅広い交流ができ、結果として健康に役立っているかなと思う昨今です。
 それにしても昭和は遠くなりつつあり、自分の来し方がほとんど丸紅一辺倒であることに今更の感を抱いております。しかし、後悔はありません。引き続き切磋琢磨して生きて行きたいと思っています。


「ディレクトフォース(本文参照)」の催し
大田区の小学校で「戦争について考える」授業風景


「ディレクトフォース(本文参照)」の催し
学士会館での講演・交流会の後、加藤一二三さんを囲んで
(左から2番目が筆者)

(よこい ときひさ・1961年入社・千葉県在住)


横井さんの過去ご寄稿はこちらからご覧いただけます


戦争について考える
https://www.marubeni-shayukai.com/letter/letter_main/entry-572.html


小児がんの子供たちを救いたい
https://www.marubeni-shayukai.com/letter/letter_main/entry-119.html


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