社友のお便り

2017年02月01日 社友のお便り

小児がんの子どもたちを救いたい

横井 時久 (1961年入社)

筆者近影

 小児がんは大人のがんに比べ、早期発見が難しく、患者の家族以外ではさほど関心も高くないというのが実情である。しかし、多くの幼い命が失われ、或いは苦しんでいる子どもたちのことを考えると、もっと大勢の人に実態を知って貰う必要があると、つくづく思うようになった。そんな小児がんの子どもたちを支援する活動のきっかけを作ったのが、丸紅本社合唱団で常任ピアニストをされている、筧千佳子さんである。元副社長の水野勝さんが偶々この合唱団に属し、筧さんに歌の指導を受けていたこともあって、先ずこの活動に参画するようになり、そのうち同期の私も手伝うことになった。私自身は小児がんの家族が身近にいるわけでもないし、音楽との縁が深いわけでもなかったが、水野さんとは、企業OBの知見・人脈を活用するという目的で、一般社団法人「ディレクトフォース」を一緒に創設した縁があり、誘われるままに音楽会の運営を手伝っているうちに、段々と抜けられなくなってしまった。勿論ボランティアである。


 今から200年ほど前、相模国二宮村、川勾村(現在の神奈川県二宮町)の辺りでは、地震と津波、そして当時流行った疫痢のために多くの子どもたちが命を失った。住民は二度とこのような悲劇が起こらないようにと願い、お地蔵様を建てて守護していた。その後、時が流れて1980年頃、地域の人たちによって地蔵尊供養のための地蔵祭りが再興された。この地蔵祭りに賛同し参加・出演した、筧さんをはじめとする音楽家たちの中から、この催しを更に多くの人たちに伝えたいとの希望が出て、「朴(ほお)の会」という組織が生まれた。


 そして今は、小児がんや難病で苦しんでいる多くの子どもたちがいる。その結果、「朴の会」では、そんな子どもたちを支援するチャリティ公演が活動の中心となり、人々のご縁が繋がって、ボランティア活動の輪が広がることを願い、チャリティ公演を「ごえんなこんさぁと」と名付けた。


 筧さんのご主人である野本立人さんは、バリトン歌手であると同時に、日本の合唱界の有力指導者である。この野本さんは、その昔、女優の竹下景子さんが属していた小学校のPTAコーラスを指揮したことがあり、これがご縁となって、竹下さんには、「ごえんなこんさぁと」の司会と朗読をお願いしている。「朴の会」の主旨に賛同する東京在住のサラリーマンOBや会社務めの若い人たちもメンバーに加わった。


2016年3月 ごえんなこんさぁとの様子

 任意団体だった「朴の会」は、2008年にNPO法人となり、2012年には認定NPO法人となった。そして2016年、活動拠点の本部事務局を神奈川県二宮町から東京都文京区に移転した。チャリティ公演は、これまでに、福岡、名古屋、福井、目黒、市川、神戸、宝塚、伊勢、さいたま、たつの、金沢、渋谷など、全国各地で開催されている。最近は、大きな公演活動だけではなく、プロの音楽家が直接病院に出向き、歌や演奏で療養中の子どもたちやその家族を元気づける活動も始めた。公演活動は、2017年1月で70回目を迎える。今、全国で約13,000人の子どもたちが、「がん」と闘っている。小児がんは「不治の病」から「治る病気」になりつつあるとはいえ、年間約500人の幼い命が失われている。「ごえんなこんさぁと」の収益金の一部は、小児がんの研究助成、小児がん家族への療養支援などに活用されている。

 音楽家は、演奏会や病院での慰問活動など、音楽を通じて貢献し、我々サラリーマンOBは、音楽以外の分野を全て引き受けている。例えば、渋谷のホールでの公演が決まったとしよう。我々は、企業を訪ねて寄付やプログラムの広告、チケットの購入などをお願いする。公演の当日は、ホール入り口でのチケットのもぎり、プログラムの手渡し、会場案内、出演者の弁当の手配、来賓からのお花の取次ぎなど、それぞれ役割を分担し、客席で公演を楽しむ時間はほとんどない。普段は活動方針の策定、スケジュールの管理、活動経費の収支把握など、音楽家があまり得意でない分野を全て切盛りする。地味な活動ではあるが、ご縁のできた人達が少しでも幸せになればとの思いで頑張っている。

 なお、我が丸紅には、NPO立ち上げ以降、公演パンフレットや機関紙「朴の会通信」への広告掲載など、毎年温かいご支援を頂いており、心強い限りである。この記事を読んで、我々の活動に関心を持たれた方々にも、何らかの形で、支援の輪に加わって頂けたら望外の喜びである。

「朴の会」連絡先
e-mail:hounokai@goenna.net
URL:http://www.goenna.net

(よこい ときひさ・1961年入社・千葉県松戸市在住)


バックナンバー