社友のお便り

2020年03月02日 社友のお便り

戦争について考える

横井 時久 (1961年入社)

 いきなり大袈裟なタイトルを掲げたのは、これが小学校6年生を対象に行った授業のテーマだったからである。
 一般社団法人ディレクトフォース(DF)という社会貢献、自己研鑽を行う組織がある。会員は約600名。丸紅OBが約40名いて色々な分野で活躍している。DFの中の理科実験チームの地域リーダーに、大田区の小学校教師から戦争の体験を生徒に話す人はいないかと相談があった。小学校6年の社会科の教科書に戦争のことが書いてあるが、今の教員は戦争体験がなく、戦争のことを生徒に話しても臨場感が無いので、誰かいないかという相談であった。
 偶々私は渋谷区の中学同期の仲間10数名と戦争の思い出を書いた簡単な文集を出したことがある。こんな経緯があり、小学校の授業を引受けることになった。いざ引受けたのはよいが、正確な情報をもっと蓄える必要がある。あれこれ考え動いているうちに知らなかったことが随分とわかってきた。
 まず、総務省のホームページに有力な情報が載っている。空襲によって被害を受けた主要都市別に、空襲の年月日、空襲の様子、死者・重軽傷者数、住宅被害数など詳しく記載してある。
 次にわかったのが、早乙女勝元著「図説・東京大空襲」である。空襲の写真が豊富に載っており、江東区に東京大空襲・戦災資料センターがあることを知り訪ねてみた。この資料センターは、東京空襲を記録する会が中心となって募金を集め2002年に開館し、早乙女勝元氏が初代館長になった。
 別技篤彦著「戦争の教え方」―(朝日文庫)という本を見つけた。著者は世界の教科書を読み比べる調査をした。日本の教科書は戦争の歴史的事実を並べるだけで無味乾燥。逆に欧米は自由採択制が大半ということもあり、踏み込んで戦争と平和のことを書いて、生徒に議論をするきっかけを与えていると述べている。
 以上の情報源から、太平洋戦争に関するデータは充分に入手できたので、あとは生の体験をした人を探すことである。これについても意外な発見があった。普段親しい人でも戦争体験は滅多に話さない。小学校の同期生J君は、母親の実家がある埼玉県の熊谷に疎開した。ところが熊谷には中島飛行機の部品工場があるのを当時の米軍は掴んでおり、終戦の前日である昭和20年8月14日に熊谷は大空襲に遭った。J君は母、弟、妹と共に近くの星川に跳び込み自分は助かった。母も助かったが、弟と妹は帰らぬ人となった。また、同じ小学校の同期生Sさんは、焼夷弾が落ちて燃えさかる赤い火の中を、母と共に顔はススだらけ、下駄は脱げたままで逃げた。翌朝はぐれた父や姉と会い抱き合って泣いた。DFの仲間T氏は幼少時江東区に住んでおり、昭和20年3月10日の江東大空襲で九死に一生を得、「遥かなり昭和二十年三月十日」という本を出し「戦争は二度とご免だ」と訴えた。
 この様な生々しい戦争体験を幾つか取材することができたが、これらに比べると自分の体験は生ぬるい。戦時中祖父母と共に鹿児島に住んでいた。毎日のように空襲警報が鳴り、防空壕に潜った。撃墜されたB-29を百貨店の展示で見たことがある。兎に角お腹がすいていた。芋やカボチャばかり食べさせられ、今でも芋やカボチャは嫌いである。沖縄が占領され、次は鹿児島が占領されると言われており、朝鮮に疎開したらすぐに終戦になって、再び九州に引き揚げた。東京に来たのは終戦から4年後であるが、まだ恵比寿界隈は焼け跡だらけであった。
 戦争に関してかき集めた情報をどのように45分の授業にまとめるかが、最後の大きな仕事である。悩んでも仕方がないので、開き直って、自分なりの授業プログラムを作ってみた。パワーポイントにまとめた主な項目は次の通りである。

(1)   なぜ戦争のことを取り上げるのか:太平洋戦争が終わって 75年経過。
    戦争で恐ろしい経験をした人たちが段々いなくなる。今のうちにそのときのことを知らせておきたい。
(2)   戦争中の生活:国民学校、配給制、疎開、空襲警報、警戒警報、防空壕、防空頭巾、燈火管制。
      これらは今や死語である。
(3)   争いはなぜ起きる:争いは動物の本能で、人間も例外ではない。自分の取り分、領域の確保、主張で争う。
(4)   争いは昔からあった:第一次世界大戦、第二次世界大戦では利害が合致した国が組んで多国間戦争となり、
    科学の発達で死者が増えた。
(5)    戦争での死者:日清戦争:1万9千人、日露戦争:16万人、第一次世界大戦:850万人、
    第二次大戦:5,600万人
(6)   東京大空襲の経験:1944年以降106回の爆撃
      J君、Sさん、T氏の体験を交え、空襲の激しさを説明。
(7)   沖縄は本土で唯一地上戦が行われた場所。20万人が死亡。
(8)   日本は世界で唯一、原爆の被害を受けた国:原爆投下後も水爆や各種の武器の開発が続けられている。
    科学の発達で人間の生活は豊かになった。しかし、科学を武器の開発に使い、
    武器の開発のために科学が進歩した側面もある。
(9)    結び:
 1.     フランシスコ教皇のメッセージ:「原子力を戦争に使うのは、犯罪以外の何ものでもない。」
 2.     相良倫子さんの詩:「生きる」沖縄はひどい目に遭った。平和な時代に生きる幸せを感じよう。
 3.     憲法9条:日本は戦争放棄と軍隊を持たないことを約束。
 4.     永世中立国:スイス、オーストリア、コスタリカ等。
(10)  終戦から75年経過し平和な時代が続いた。終戦の年から 逆に75年遡ると、その間に日本は日清戦争、
      日露戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦と四つの戦争に巻き込まれている。
          今でも世界に戦争の火種は無数にあり、無関心ではいられない。いつでも世の中のことに関心を持って
          いよう。

 以上の内容を45分でこなすのは難しいので、適当に飛ばしつつ楽しい授業ができた。大田区中萩中小学校で2クラス、渋谷区加計塚小学校で2クラスの授業だが、校長や父兄も見学してくれた。生徒は戦争のときの生活に興味を持った。夫々30名程度のクラスだったが、集中度や理解度に差はあるとしても、話は熱心に聞いて貰えたと思う。これからの人生で何かのきっかけになれば幸いである。折角資料を集め筋書きができたので、中学、高校、大学での講義に活かせるかもしれないし、若い人にできるだけ話してみたいと欲がでてきた。数名でチームを作ることもあろうが、思想的な押し付けは避けたい。あとは自分へのチャレンジである。       

(よこい ときひさ・1961年入社・千葉県在住)


横井さんの過去のご寄稿は下記よりご覧いただけます


小児がんの子供たちを救いたい
https://www.marubeni-shayukai.com/letter/letter_main/entry-119.html


バックナンバー