社友のお便り

2024年05月21日 社友のお便り

我が家の犬と猫

坂本 仁司 (1971年入社)

ロシアンブルーのひな

 子供の頃から今日まで時間と場所を共有し、生活をともにした犬や猫などとの思い出をみなさんもそれぞれにお持ちと思います。一般的には、「犬好き」とか「猫好き」とかが代表的なものと思いますが、「鳥」や「魚」や「爬虫類」が好きな人もいます。
 振り返ると子供の時には生活をともにした犬がいました。秋田犬と三河犬の混血種で4 月生まれだったので「フォー」と名付けました。家族には柔順でしたが、散歩に連れて行くと近くの小山の中の林を走りまわって喜び、また散歩途中に大きな犬に会うと自分の体が小さいのに自己主張して吠え掛かっていた思い出があります。そのほかにも「文鳥」や「熱帯魚」、「蚕」などを飼育していました。「猫」との生活の機会はなく「犬派」と自認していましたが、ある時から「猫派」となりました。
 1998年5月、日本はゴールデンウィークの連休でしたが、休むことなく仕事好きの上司とともに米国ワシントンのIFC(国際金融公社)を訪問していた時に、日米の時差で夜中に目が覚めてしまいました。目が覚めた理由は、夢の中で大阪の実家に帰宅したら、犬ではなく玄関に今まで見たこともないねずみ色の猫が二匹いて戸口から入れず、目が覚めたためです。何となく気になったので東京の自宅に電話して「変わったことはないか」と妻に聞くと「実は娘がペットショップでロシアンブルーにほれて、猫を一匹買いました」とのこと。
 出張から帰国して、時空を超えて挨拶に来た「青い目のロシアンブルーの子猫」と対面して、「夢で見た子猫」そのものだったので愛着が生じて「猫派」となり、猫との生活が始まりました。3月3日生まれの血統書付の猫でまとわりつくよりも高い所で孤高を保つのが好きで「ひな」と名づけ、家中を走り回っていました。
 2013年1月に老衰で最期を迎えて、東京都下のペット専用のお寺で荼毘に付してお骨をお寺に預けましたが、家にいなくなると寂しさを感じて翌朝すぐにお寺からお骨を引き取って今も一緒です。
 しばらく猫のいない生活でしたが、2018年にひなの主治医だった先生が保護猫の里親探しをしていることを知り、応募しました。応募した8家族が個別に面接を受けて、獣医の院長先生が我々を里親に選び、里親として三毛猫を引き取り「たま」と名づけました。
 この動物病院の待合室に「飼い猫が亡くなったら懇ろに供養してあげるとあの世で毛皮を着替えて、また帰ってくる」と明記してあり「寂しがってばかりいずに存分に供養してあげてください」と薦めていたことが印象に残っています。
 確かに「たま」と生活していると「ひな」を感じる時もあり、動物病院の「毛皮を着替えて帰ってくる」との言葉に納得しています。


三毛猫のたま



(さかもと ひとし・1971年入社・神奈川県在住)


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