社友のお便り

2021年11月18日 社友のお便り

丸紅葵会第100回記念大会

野田幸司 (1975年入社)

筆者近影

 葵会とは、1975年丸紅株式会社入社232名同期(同期会会長:国分文也現丸紅会長)のゴルフ会の名称です。毎年春秋2回(3回の時も有り)、46年間継続して開催しています。
 この度、2021年10月20日(水)、芙蓉カントリー倶楽部で、100回記念大会を行いました。新型コロナウイルス感染症が広がり、延期が続いていましたが、コロナ感染者数も劇的に減少に向かったおかげで、1年ぶりに開催の運びになったわけです。これより前、100回大会を控えて、同期のメンバーコースでの開催が続いてきました。霞ヶ関C.C.、茨城G.C.、習志野C.C.等々。100回記念大会は、芙蓉カントリー俱楽部と決めて準備してきただけに、われわれ同期の意気は大いに上がりました。


第100回丸紅葵会(32名参加)敬称略
開催日:2021年10月20日(水)
開催コース:芙蓉カントリー俱楽部
              NET
優勝     玉置 肇   64(ハンデによる)
準優勝    津田慎吾   64
第3位      中野浩志   66
ベスグロ   玉置 肇  グロス 76
ベスグロ76が出てきて、いよいよエージシューター誕生も現実的になってきました。

葵会歴代の記録
ホールインワン:小室誠治 1984年3月21日  神崎C.C.out3番
ベスグロ 75 :河村純  1991年4月14日  宍戸国際G.C.
        平林聖紹 2008年9月23日  霞ヶ浦G.C.
優勝者数   :42名(国分会長や津田大使も優勝経験者)
最多優勝者  :野田幸司 8回


 表彰式は、芙蓉C.C.と協議の上、コロナ対策を十分とり、大きなパーティルームで密にならないように、ドリンクのみで行いました。記念大会でしたので、国分会長ほか多くの寄贈があり、参加者全員に賞金・賞品が渡り大いに盛り上がりました。

 葵会の発足は、私が、入社時に配属された木材部の坂本久課長から「同期の仲間は、仕事でも遊びでも生涯付き合えるかけがえのない宝。絆を太くする集まりを作りなさい」とアドバイスされ、ゴルフ仲間の上宮新一郎さんと相談の上、ゴルフ好き16名で、箱根の丸紅仙石荘に泊まり、花村是利さん『会の名称「葵」の命名者』、高見和彦さん『ルール委員長』ら全員で会の運営規則を決め、翌日1976年3月20日(土)箱根くらかけゴルフ場で第1回目がスタートしました。
 これまで46年間、計100回継続することが出来たのは、同期の太い絆を作る下記の3つの理由があります。
 1つ目は、入社後各部署に配属された3か月後、再び全員が富士山麓に集結して3泊4日の研修が行われ、数々の出来事が同期の団結を堅固なものにしたことです。例えば、「慶應のラガーマンとして鳴らした鈴木基史さんの俊足」「ネーティブ顔負けの笹山恭一さんの英語ディベート」「新田豊さんリーダーによる100人以上のストリーキング(本当の裸の付き合い)」「国分文也さんの名司会による隈部克郎さんの連夜のオペラショー」「小室誠治さんの『同期の桜』熱唱」などが記憶に残っていますが、みんながニヤリとするような「秘密の事件」も少なからずありました。

 2つ目は、絆を太くする同期会のイベントです。その内訳は3つ。

①    人事部の故堀川一郎さん提案によるゴルフ会に参加できない人も集まる「BMWⅢ会」奇数月の第3水曜日の夕方、
  当時は丸紅東京本社1Fレストラン「コンチェルト」に集合、命名者は市岡辰彦さん。
  命名の由来:1984年公開の日米合作サーフィン映画「BIG WAVE」毎月第3水曜日にBig Waveが来る
  というのにちなんで、「Big Marubeni WednesdayⅢ」⇒BMWⅢ会と命名。
  毎回、有意義な情報交換が継続してできています。2020年1月16日開催第115回以降、コロナ感染症により
  開催されていません。早く復活できるよう祈念しています。

②    5年ごとに開催する全国の同期が集まる「7・5会」(名称は1975年入社にちなんで)
  残念ながら、2020年入社45周年第8回「7・5会」もコロナで延期中です。

③    大阪在住の同期が集まる「大阪同期会」
  現在は、コロナ禍ですが、徐々に開催されています。

 3つ目は、「同期の誇り」の誕生です。
 同期入社から丸紅の社長と大使が生まれています。
 国分文也さんは、2013年4月より2019年3月まで計6年間、代表取締役として丸紅の躍進に寄与、現在は取締役会長として活躍中です。
 津田慎吾さんは、2013年10月より2年間、駐カタール特命全権大使として、日本との関係強化に努められました。
 
 先ほど述べました故堀川一郎さんは、2002年の第62回大会を最後に帰らぬ人となりましたが、彼は葵会での優勝を切望し、生前次の言葉が同期の結束を固いものにしました。「毎年2回の開催で、2021年秋に100回大会となる(本当に100回大会となりました)。でも、定年を迎えると年2回では物足りない。いずれ100回大会になるから、それまでに優勝して見せる・・・」
 葵会のスローガン(今は亡き彼の情熱に感謝して)
 「最後の2人になるまで葵会を続けよう!サバイバルトーナメント丸紅葵会」

(のだ こうじ・1975年入社・東京都在住)



バックナンバー