趣味のコーナー

2022年07月06日 趣味のコーナー

趣味のゴルフ人生50年

田畑 義毅 (1965年入社)

長崎(めがね橋)

 趣味のゴルフ人生50年を振り返ってみました。
 入社して3年後の1968年に当時の八幡支店に勤務を命ぜられその時の上司に勧められてゴルフクラブを購入したのがゴルフを始めたきっかけです。
 八幡は鉄鋼の全盛時代で活気ある街でした。丸紅が3Mと呼ばれたのもこの頃です。製鉄所の高炉の煙突に掲げられていた「創業1901」が今でも忘れられません。
 しかし丸紅の創業は1858年ですから歴史の重みを感じます。
 私は八幡支店から長崎勤務を命ぜられましたが練習場の隣に下宿したのもうまくなりたい一心からでした。初めてプレーしたゴルフ場は長崎市郊外の雲仙ゴルフ場(日本で二番目に古いゴルフ場)でした。長崎市内からこのゴルフ場に何度も通ったことが実に懐かしいです。
 その後1972年に長崎から東京本社に転勤になり世田谷の社宅(駒沢荘)に入居しました。社宅近くの練習場に毎週末練習に通ったことも懐かしく思い出されます。プレー料金が高かったこともあり東京時代は電車に乗って東我孫子の河川敷によく行きました。その他では「茨城GC」「中津川CC」「大洗GC」「飯能GC」等が懐かしいです。
 その後大阪本社に転勤になりました。関西で記憶に残るゴルフ場は「宝塚GC」「西宮CC」「鳴尾GC」「六甲国際GC」等が懐かしく思い出されます。
 その後当時の広島支店に移動になり広島支店時代では「広島CC・八本松コース」「宇部CC」「下関GC」等が思い出されます。
 国内支店数か店の転勤を経て私の地元九州支社に戻りました。福岡には「古賀GC」「大宰府GC」「芥屋GC」等があります。
 私のゴルフ人生の中でたくさんの会社の仲間や取引先の方々とプレーしたことは忘れられない思い出ですが、ご一緒したゴルフ仲間の多くの方々が他界されました。


元九州支社のゴルフ仲間
(左から藏前さん、山田さん、筆者)

 私が所属しているゴルフクラブの契約プロであるベルンハルト・ランガー(マスターズチャンピオン・米国シニアオープンチャンピオン等)とは以前ご一緒する機会があり再会の約束をしていましたが今年もコロナ禍で来日することができなくなり残念です。
 私も来年には傘寿(80歳)を迎え79でエイジシュートが可能な年齢になりましたが、一方で、年齢とともに体力の衰えを感じるようになってきました。しかし体力の続く限りもう少しゴルフを楽しみたいと思っています。

(たばた よしき・1965年入社・福岡県在住)


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