特別企画

2015年12月01日 特別企画

往年の銀幕スター

西山 慈恩 (1962年)

筆者出演の舞台 相馬杜宇脚色 『百合の季節』

昨年、社友会から喜寿の祝いを頂いた。1938年11月生まれで、家内と今年の誕生日にその祝いをしようとしていたから驚いたものだ。が、この種の祝いは数え歳ですると知り納得するも、己がそのような年齢を重ねたことが信じられない。だが、往年のことを懐かしむのが日常となっていることは紛れもない事実で、テレビの数少ない歌謡番組でも、聞き入るのは将に懐かしのメロディーとなっている。

さて、表題だが、「銀幕スター」という言葉を今の若者が使うとは思えない。言葉自体が往年を懐かしむ世代のもののような気がするが、それはそれとして・・・。

 スターというカタカナのせいか、思いつくのは西洋人のそれが多い。順不同だが、「風と共に去りぬ」のクラーク・ゲーブル、「地上より永遠に」のバート・ランカスター/モンゴメリー・クリフト、「太陽がいっぱい」のアラン・ドロン、「灰とダイヤモンド」のズビグニエフ・ツィブルスキ、「ローマの休日」のグレゴリー・ペック、「波止場」のマーロン・ブランド、「エデンの東」のジェームス・ディーン、「怒りの葡萄」のヘンリー・フォンダ、「道」のアンソニー・クイン、「ブリット」のスティーブ・マックイーン、「北北西に進路を取れ」のケーリー・グラントと思い出せば切りがない。


Dustin Hoffman セールスマンの死

 これらの映画は学生の頃、封切りからかなり経った頃に、所謂名画座といわれていた映画館の2本立て上映で、席が確保できればラッキーという混雑の中、空腹に耐えながら、時には立ち見で観たように記憶している。

 上記の名優達は、アラン・ドロンを除き全て他界しているが、鮮やかにシーンを思い出せるのは、夫々に感動したからに違いない。

 感動と言えば、先日、「ボーイ・ソプラノ ただひとつの歌声」という映画を観た。主役はボーイ・ソプラノの少年だが、ダスティン・ホフマンがその指導者として重要な役回りで出ていた。彼と言えば、「クレイマー、クレイマー」の軽妙な演技を直ぐに思い浮かべるのだが、どんな役でもそのリアリティのある存在感にはいつも驚かされる、将に名優である。現役だから、往年のスターに並べるのは少し違うようにも思えるが、私にとっては格別の俳優でもある。


85年頃、ブルックリンブリッジにて

 1984年であったろうか、2度目のニューヨーク駐在時に、ブロードウェイの劇場で、アーサー・ミラーの「セールスマンの死」の主役ウイリー・ローマンを演ずる彼を、息遣いまで伝わる席で観たことがある。この芝居は学生時代に自分達でも上演したものだったから、舞台の英語に完全にはついてゆけないところがあったとしても、芝居の理解に問題はなく、1960年の安保闘争の最中に、資本主義社会が齎す悪を告発するものとして演じた我々の舞台との差を痛感するものでもあった。終演後、劇場裏手の楽屋口から通りに出て来て迎えの車で帰って行ったが、彼に気付いた観客の何人かが掛けた称賛の言葉に、はにかんだような答えを返して去った。それも言わば一瞬のことで、スターが揉みくちゃにされそうになる、日本との違いに驚いたという付録もあった。

 これらの名画の舞台となったアトランタ(風と共に去りぬ)、ハワイの海岸(地上より永遠に)、スペイン広場(ローマの休日)、ブルックリン港(波止場)、モントレー(エデンの東)、ルート66(怒りの葡萄)、サンフランシスコ(ブリット)、マウント・ラシュモア(北北東に進路をとれ)等を訪れ、スターの出たシーンに想いを馳せ得たのは、丸紅に職を得ていた幸せのひとつでもあった。


(にしやま じおん・1962年入社・神奈川県平塚市在住)


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