特別企画

2015年12月01日 特別企画

野球

有馬 次郎 (1972年)

9月のアメリカ旅行、ヨセミテ国立公園のホテルにて

 物心ついた頃から現在に至るまでスポーツは余程苦手である。運動神経が鈍いからだと確信しているが、運動神経なぞ意識することがなかった幼い頃は、近所の子供同士、空地でよく野球をした。柔らかいゴムボールを掌で打ち、一塁、二塁、ホームの三角を走る「三角ベース」という遊びだった。何人で攻撃や守備をしたのか覚えていないが、何人でも構わなかったのだろう。小学3年か4年の頃、プロ野球の存在を知った。巨人の川上や西鉄の稲尾を覚えている。その後、初めてグローブを買ってもらい、兄とキャッチボールをした。しかし、そのグローブをキャッチボール以外で使ったかどうかは記憶に残っていない。中学から高校、大学へと進学しても、多分、野球をしたことはなかっただろう。グローブがどうなったかも覚えていない。

 丸紅に入社してから間もない頃、軟式野球をしたことが何回かある。勿論、野球部に属したのではなく、部内や、メーカーとの懇親ゲームである。そのために、グローブ、バット、ボールを買った。さらにエスカレートして、ユニフォーム一式や、スパイク、バットケース、打撃用のグローブなども買った。ユニフォームには、勝手に決めた背番号「15」と、チーム名の代わりに「A R I M A」 と妻が縫い付けてくれた。そのユニフォームを身に付けて試合に臨んだが、おそらく打率は1割程度だったに相違ない。また、ニューヨーク駐在中に何試合かに出場したことも覚えているが、いつの間にか、うやむやになってしまい、その後、野球をすることはなくなった。当時使ったグローブやバットは今でも残っているが、ユニフォームやスパイクは何年か前に捨てた。


1978年頃、取引先との試合のバッターボックスにて

 歳月が時に風の如く、時に雲の如く過ぎ去り、還暦も過ぎ、古稀が近づいて来たが、最近になり、読書の後などに、手に嵌めたグローブに自分でボールを投げ込むという、無意味なことをやるようになった。そしてグローブにボールが上手く収まると存外気分の良いものであると思った。しかし、グローブが古くなっていたため、何回かボールを投げつけているうちに、グローブの革紐が切れてしまった。そこで、東急ハンズで革紐を買い、妻に古い革紐と取り替えてもらったら、何やら愛着のあるグローブになった。

 真新しい革紐に取り替えられたグローブにボールを投げつけながら、グローブを見つめる。愛着があるとは言え、将来性のあるものではない。そして身の回りを見渡すと、愛着はあるが、将来性の無いものだらけだ。寂しくなる。しかし、この寂しさは長続きしない。寂しさをすぐに忘れさせてくれる、日常生活があるからに相違ない。退職前は日常生活の中心は仕事であったが、退職後も寂しさを直ぐに忘れさせてくれる生活ができるのは、大いに恵まれたことだと思う。


(ありま じろう・1972年入社・神奈川県横浜市在住)


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