特別企画

2016年04月25日 特別企画

「私のペット自慢」わが愛しの“ラナ”の思い出

土山 勝實 (1962年)

 “ラナ”は、我が家では3度目のペットであった。今から35年ほど前、当時女子美術大女子高に在学中の長女が、友人の家から貰ってきた。ビーグル犬、名前は娘たちの合議で命名された。肩高約35cm、垂れ耳で、尻尾は細く立ち、毛色は茶褐色に黒ぶち、腹は白くて、元来はウサギ用猟犬のようである。前足は白く、柴犬との混血と言われたが、柴犬の特徴はなくて、時折周りの畑から、野鼠を咥えて来たりした。ある日、15坪程の庭に迷い込んだ子猫を桜の庭木に追い上げて吠え付き、その子が失神して落ちたところにガブリと噛みついてしまったこともあった。水浴びが嫌いであった。


フェリー上の長女とラナ(3歳)

 シャンプーしてブラッシングすると怒り、ブラシに噛み付いた。しかし番犬としては良かった。家の者以外には馴れず、実家の宇和島に何度も連れて行ったが、母がいつも餌をやるのに吠え付くと言ってこぼしていた。餌をやって食べているとき食器に触ると怒る犬であった。別に言葉を教えたことも無いが、かなり私たちの言葉を理解した。

ラナ、散歩!・・・・・・引き綱を咥えて足元に座る。
ラナ、帰ろう!・・・・・多摩川縁で放し、帰り際にこう言うと、
            頭を下げ、うな垂れて足元に座る。
ラナ、ご飯だ!・・・・・食器を咥えてくる。
ラナ、病院だ!・・・・・呼んでも小屋の中から出て来ない。
ラナ、行くよ!・・・・・車のドアの横に並ぶ。


狛江でのラナ(10歳)と
大好きな洗濯籠

 子供たちとあちこち旅行し、車の旅を楽しんだ様である。冬は5年にわたり信州信濃町のペンションの雪の中で遊んだ。そして子供たちは一人去り、二人去り、三人目が米国留学で去って、‘88年には妻と二人だけになった。夜中目が覚めて二階に上がると、誰も居ない虚しさが体中に広がる。‘95年の正月、年賀状に書いた俳句がある。

“娘こ等らは皆 嫁ゆきて虚しき 初日の出”


長女とともに来日した初孫と
初対面のラナ(14歳)

 丸紅時代、海外資源調査部で鉱山技師として仕事をしていた私は、退社後、‘95年6月に埼玉県名郷石灰鉱山の事業所長兼鉱山長となり、3年半65歳になるまで坑内開発の指導をしたが、それまで住んでいた狛江からは通勤することが出来ず、青梅市の岩淵に、建坪40坪、敷地90坪の一戸建てを借りた。

 薄着のビーグル犬は、冬場寒がって寝ないので、夜中にアンカを入れてやったり、足腰が弱ってからも夜間散歩したがるので連れて出ると、坂道の多い岩淵では帰りにもう歩けず、抱いて戻ったりした。それでも、私がどんなに遅く帰宅しても、車の音でガレージの前で待っていてくれた。
 ラナは岩淵の広い芝生の庭で老後を悠々と生きていたが、98年の盛夏、大好きだった芝生の上で、18年の生涯を終えた。ラナ、さようなら!!


青梅・岩淵の芝生の上で遊ぶ
ラナ(17歳)

 今は団地生活で、犬が飼える環境ではない。時折妻は、犬の飼える環境に移りたいと言ったりするが ’02年に米国の永住権を取得した私たちは、家具やら書籍を処分して、今の4LDKのマンションに移転して何時でも渡米出来るようにしており、身軽になった今の身分では、最早手の掛かる犬を飼うことなど、考えることも出来ない。

 娘たちと同じくらいの時間を私たちの元で生活したラナは、娘たちと同じくらいの思い出を作ってくれた。そのことを今でも感謝している。岩淵の柿の木の下に今も眠る、ラナの冥福を祈ること切なり。

(つちやま かつみ・1962年入社・千葉県白井市在住)


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