新春企画

2024年01月01日 新春企画

私と俳句

川口 襄 (1964年入社)

 1990(平成2)年夏、私が50歳の時川越市主催の「俳句を楽しむ」という講座を受けた。講師は当時俳句結社「沖」の主要同人で論客でもあった小澤克己氏41歳。講座は俳句の歴史、決まり事、作り方、鑑賞の方法等懇切丁寧で納得のゆくものであった。加えて出版されたばかりの第一句集『青鷹』(もろがえり)所収の句〈高空に水あるごとし青鷹〉〈湖国いま水の微熱の蝌蚪ぐもり〉〈嬰生るはるか銀河の端蹴つて〉等を知り、私の身体に電流が走り、大きなカルチャーショックを覚えた。私がそれまで見聞きしてきた俳句とは全く異質な句に魅了され、即座に「この先生に付いて行こう」と決断した。
 1992(平成4)年に克己を主宰とする俳句結社「遠嶺」が発足、私も創刊同人として参加した。


2012年7月 川越市内の句会場で

 その後の克己の活躍は八面六臂、月に30もの句会を指導しつつ、俳句総合誌への出句や評論執筆、講演会等々多忙を極めていた。私はと言えば、月に10回の句会に参加し克己の指導を受けるほか、総合誌からの原稿依頼も徐々に増えてきた。1997(平成9)年「遠嶺」編集長、2006(平成18)年から幹事長として克己を支えてきたつもりである。ところが2010(平成22)年4月、積年の過労に加え末期癌のため突然60歳の生涯を閉じた。克己の遺志を継ぎ同年9月に残された有志により「爽樹」が誕生した。私は創刊時より4年間編集長、その後6年間代表を務め、その間8回の初心者講座を行い、新会員の発掘に努めた。

 この間「おくのほそ道」全600里を、細切れながら58日かけて歩き通したこと、「四国八十八札所」1400キロを42日間の歩き遍路で結願することもできた。
 また句集は『王道』『マイウエイ』『蒼茫』『俳人協会・川口襄集』『星空』の5冊を上梓。現在は「俳人協会」「埼玉県俳句連盟」「慶應義塾丘の会」に所属し俳句の研さんを続けている。いずれにせよ小澤克己との出会いと別れが、私の後半生を決定づけたと言えよう。

 最後に「丸紅青葉会」について。この会は「万緑」中村草田男の高弟・川合絹漱先生(当時丸紅取締役・友之)を指導者として、現役社員10名ほどの会員で発足以来、絹漱先生ご逝去の後は奥様の万里子先生に、さらに現在は私(孤舟)が選者を務めている。俳句に興味をお持ちの方はぜひご連絡ください。

(かわぐち じょう・1964年入社・埼玉県在住)



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