新春企画

2023年01月01日 新春企画

第二の人生顛末記
―丸紅で覚えた芸で、世の中のお役に立てる幸せ―

寺尾 勝汎 (1964年入社)

バンクーバー会にて

 丸紅で、人事業務に四半世紀携わって来ました。性に合っていたのか、勉強もソコソコ積んだつもりです。日経連の委員会にも加えていただき、出版のお手伝いをしたこともあり世間も広くなりました。在職中から事業会社の相談に乗ったり、労使紛争解決のお手伝いをしたりして、多少の適性はあると思っていたので、定年を間近に控え、やはり好きな人事の仕事をライフワークとして、世の中への恩返しをしようと決めました。
 私の人事の仕事の中での弱点である社会保障関連の実務を習得するために、一念発起して社会保険労務士の資格を取り、会社の近くの神保町に事務所を開いて20年余りが過ぎました。
 丸紅時代の人脈や、日経連の推薦もいただき、顧問会社にも恵まれました。営業活動をほとんどしないで済んだのは有難かったのですが、士業の厳しさを味わなかったという点では多少忸怩たるものがあります。
 私にとってラッキーだったのは、ちょうど社労士業界が従来の事務代行中心から、人事労務業務の専門家集団として、労働司法の分野にも進出する方向に進んだ時で、私のキャリアが重宝がられ、色々とお手伝いをしました。
 東京会や支部の委員の他、労働司法の分野でもお役に立てたと思っております。
 新参者でありながら、社労士会50周年記念では、功労者の末席で表彰の栄に浴しました。

 社労士東京会の推薦で「個別労働関係紛争解決促進法」の東京労働局の紛争調整委員をはじめに、全国社会保険労務士会連合会会長の推薦によって、東京簡易裁判所の民事調停委員を務め、その後簡裁の指名で「民事訴訟法」に規定する司法委員を務めました。
 これは専門知識を活かして裁判に同席し、裁判官をアシストする役職です。また丸紅経由東京商工会議所の推薦で労働審判員を務めました。これは司法制度改革の一環として、平成19年に発足した「日本版労働裁判所」で裁判官と共に紛争解決に当たる役職です。これには弁護士や社労士は法律上なれないので、丸紅OBとして任命されました。
 これだけ種々務めたのは、多分、全国でも私くらいのものではないかとひそかに誇りとしています。

 また、東京経営者協会経由で高年齢者雇用推進委員となり延べ600社以上の会社訪問をしました。丸紅時代には知らなかった中小企業の経営実態を知り、大変勉強になりました。その時知遇を得た新日本フィルハーモニー交響楽団の事務長の紹介で、社友会幹事時代の月例会で、弦楽四重奏のコンサートを開いたのも懐かしい思い出です。


MKJ80の総会にて

 元丸紅副社長の水野氏が初代代表理事であるユニークな団体「ディレクトフォース」の会員にも加えていただき活動しています。ここでの自慢は、委員会で知り合った飛び切り優秀なモンゴル人女子学生を丸紅に紹介し、お眼鏡に叶って採用していただいたことです。彼女は将来日本とモンゴルの友好関係に大きな貢献ができる人材だと期待しています。また同会は活動の一環として、大学に講師を派遣しておりますが、私も東京都市大学(旧武蔵工大)で労働法と社会保険法の講義を担当し、18年になります。学生諸君は大変真面目で自分の考えを持っており、レポートを読むのが毎年の楽しみの一つです。

 丸紅時代の私のひそかな宝物が二つあります。一つは最初の海外駐在地カナダのバンクーバー駐在員経験者の会を立ち上げたことです。バンクーバーは生活環境が素晴らしく、皆懐かしい思い出を持っていることが、後輩の幹事諸君の努力もあり、35年続いている理由だと思います。
 もう一つは私が課長を務めた時の海外人事課の同僚との会です。「MKJ80」と名付け、女性幹事長のご尽力で20年以上続いています。丸紅社友会のHPでも紹介していただきました。総勢30名の会員の内20名以上が女性という華やかな集まりです。各方面で活躍している方も多く、私の事務所を手伝ってもらっている方もその一人で、本職は箏の演奏家です。千代田社労士会の新年会でも演奏してもらいました。大変有能な方で細かい仕事は全部任せて、事務所は彼女でもっています。

 思い返すといろいろなことをやらせてもらいましたが、あっという間の20年でした。心残りはもう少しゆとりがあったらなという思いです。これからは、遅ればせながら昔励んだ筋トレを再開したり、カラオケで懐メロを歌ったり、趣味の遺跡や古墳巡りを続けたいと思っています。添付の写真は昨年のMKJ80の総会の写真で真ん中で誕生祝の花束を持って嬉しそうにしているのが私です。もう一枚はバンクーバー会での一本〆の音頭を取っているところです。隣は事務局長の林君(1970年入社)です。

(てらお よしひろ・1964年入社・東京都在住)


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