新春企画

2022年01月01日 新春企画

年男(84歳)を迎えるに当たって

佐藤 厚 (1960年入社)

筆者近影

 私が丸紅ニューヨーク支店に転勤したのは1962年末。ジョン・F・ケネディ大統領の時代でした。その翌年、ケネディ暗殺!私自身も驚きましたが、周りのアメリカ人達が驚愕して、声も出なかったことを今でも鮮明に覚えています。
 当時、1ドル¥360の時代。NYに転勤すると給料がちょうど10倍になりました。それでもNYでは中の下の生活。
 でも、会社は良く出してくれたと思います。
 4年半のNY勤務を終えて、東京に戻り、原子力の仕事に従事。タイミングに恵まれて、ウランの長期契約や濃縮契約、再処理契約などに携わることができました。何年にもわたる契約なので、契約金額はやたらと大きくなりました。
 ウランがうまく行ったのだから、LNGもできないか?と声を掛けていただき、カタールにも何度か足を運びました。しかし、そう簡単には行きません。だが、後を継いでくれた人たちが纏めてくれて、後年、丸紅/カタールLNGができたことをとても嬉しく思っています。


1970年 大久保常務と南西アフリカ(現在のナミビア)のウラン鉱山ロッシングを訪問(向かって左側が筆者)

 その後、当時生まれたばかりの情報産業の仕事に移りました。当時は、コンピューターや通信だけでなく映画への投資も情報産業事業部で行っていました。これも楽しい仕事でした。カンヌの映画祭なども覗くことができました。丸紅最後の仕事は、衛星でした。当時のT社長は、「衛星のような足が地に着かない仕事は駄目だ!どうしてもやるのなら自分でやれ!」と言われて衛星会社に出向となりました。
 そんな折、今の会社ヤシマキザイ(鉄道車両部品を扱う商社)から、上場を目指しているので手伝ってくれないか?と声を掛けられました。上場など簡単!と思いきや、それが大変!20年かかり、令和元年6月にやっと東証2部に上場することができました。
 今まで色々な仕事に携わって来ましたが、丸紅時代、自由にやらせて頂いた経験がとても貴重だったと思います。
 健康にも恵まれて、今でも時々テニスをやっています。しかし、80歳過ぎと言うとテニス仲間が遊んでくれないので、歳のことは触れないようにしています。
 時間があったらヤシマキザイのホームページ(https://www.yashima-co.co.jp/ja/index.html)も見て下さい。

(さとう あつし・1960年入社・東京都在住)



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