新春企画

2021年01月01日 新春企画

ナイジェリアの想い出とゴルフ仲間たち

酒部 正博 (1972年入社)

エコーホテルでの送別会にて(中央が筆者)

 今年は丑年の年男になるのでナイジェリア駐在時代の思い出を寄稿してはどうかとの便りが長沼関東地区幹事からあった。長沼さんとは1982年からラゴスの駐在員として苦楽を共にした。彼はラゴス島にあった旧事務所からビクトリア島の新事務所の引越しやナショナルスタッフの管理に多忙で、私も石油、天然ガス関連プロジェクトの契約履行、受注活動に走り回った。
 私の前任者Nさんは駐在中に原因不明の視覚障害に罹り、急遽帰国して国内で治療することになり、代りに私が赴任することになった。実はNさんの前任者もマラリアで意識不明になりロンドンに緊急搬送された経緯があり、赴任当初から現地の病気、特にマラリアには注意せざるを得なかった。しかし、毎日予防薬を服用すると網膜剥離などの副作用の恐れもあり悩んだが、結局予防薬を服用しない判断をして蚊に刺されないように心がけた。毎晩寝室で蚊取り線香を炊くだけでなく寝床に蚊帳も吊るなど、徹底的に蚊を避けて過ごした結果として4年間の駐在中一度も病気には罹らなかったのは運が良かったと思っている。
 協力会社の駐在員の方はアメーバ赤痢になり下血が酷く心配したが、たまたま日本大使館に熱帯病の専門医がおられ特効薬を処方してもらい助かったこともあった。
 当時は政治的に不安定で治安も悪く、ラゴス空港から単身寮に戻る道中に警察のチェックポイントがあり小銃を突き付けられお小遣いをせびられることも度々あったが徐々に慣れてしまった。


丸紅ナイジェリア会社(奥の建物はMEWAL)

 嫌な経験は話せば切りがないが、その中で楽しかったのは休日に駐在員でテニスしたり、ラゴス港に釣りに行き釣った魚をその日に調理して食べることだった。ゲストハウスにTさんという料理好きの先輩がおられ、しまアジなどの刺身も食べさせてもらった。
 遊ぶ場所がないのでストレスも溜まり半年に一度ナイジェリアから出られるのを楽しみにしていた。おかげで一時帰国以外にヨーロッパ諸国、ケニア、エジプトなどにも特別休暇で旅行することができた。
 1983年末に休暇でエジプトに出国した際に思わぬトラブルが起こった。その当時のナイジェリアは民主共和政権下で表面上は落ち着いていたが、オイル価格の低迷や腐敗政治など外貨不足に陥っていた。そのため、外貨の持ち出し規制が厳しく、我々のような外国人も例外なく空港の税関で検査が厳しく行われ、エジプト旅行にもギリギリの外貨しか持ち出せなかった。ピラミッド見学など予定の日程をこなし12月30日に帰国しようとホテルを出ようとしたときに、ナイジェリアで軍事クーデターが起こり空港が閉鎖されたことを知らされた。しばらく待てば空港が再開されるはずと思い待つしかなかったが、次第に現金が少なくなり当時のカイロ支店にお金を借りようと行ってみたが年末休暇に入っており誰もいなかった。途方にくれたが休暇明けまで待つことにし、少しでも現金を増やそうとホテルのカジノで翌日の食費分を稼ごうとし、たまたまうまくいった。何とか休暇明けまで飢えをしのぎ休暇明けにカイロ支店の協力もありロンドンに移動して待機するうちラゴス空港が再開され何とか戻ることができた。
 1985年にも再度軍事クーデターが起こった。この時はゲストハウスに巣ごもりしていたが我々外国人には特に被害はなかった。その後も外貨規制が続き現地通貨ナイラが溜まってきて処分に困っていたが、JALロンドン支店のご厚意によりラゴスでのナイラ払いが可能となったので、使い道のないナイラの活用としてファーストクラスで日本に帰国することもできた。

 現在は故郷の愛知県岡崎市に戻り晴耕雨読の日々ではあるが、地元の町内会役員として社会奉仕活動も行っている。高校時代の同窓会は二か月に一回開催されて勉強会も兼ねているが、勉強会の後の飲み会を楽しみに多くの仲間が集まっている。
 下手なゴルフも続けている、幸いに自宅から車で15分ほどの所にジャック・ニクラウス設計のゴルフ場があるのでそこをホームグランドにしており、種々コンペにも参加している。強敵が多いのはナイジェリアの次にお世話になったタイの駐在員のOB会でカメリア(椿)会やメナム会である。この会はゴルフコンペだけでなく年に一度の食事会もあり、タイ料理を楽しみに集まっている。最近はご無沙汰しているがこの会の中にHP編集委員の塩谷さんおよび白石さんがおられ活躍されている。
 このようなコンペ仲間に同い年の二人の達人がいるので紹介したい。一人は既にエージシュートを達成している元銀行員、もう一人は元愛知県警職員で脳疾患の後遺症で左腕が使えず右手のみでプレーしているがスコアは110位で回る人である。彼の努力には頭の下がる思いである。また、丸紅大阪同期入社の遊び仲間で毎年数回ゴルフの定期戦を行うようにもなったが、これもプレーそのものよりも前夜祭と反省会を楽しみに集まっている。
 また昔からの趣味である山登りも10年くらい前から復活した。実はナイジェリア駐在時代にナイジェリアの最高峰チャパルワディ山2419mに登頂すべく遠征したが失敗した。この時の記録は山と渓谷という専門誌に掲載された。念願の日本百名山を踏破すべく北海道の利尻岳から順に登り始め、北海道は7座登ることができた。残念ながらコロナ禍で山小屋も閉鎖中で当分は日帰りの山を登るしかなくなったが昨年は5座登った。
 年齢とコロナ禍もあり百名山踏破は難しいだろうが体力と気力が続く限り無理をしないで挑戦していきたい。

(さかべ まさひろ・1972年入社・愛知県在住)


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