新春企画

2020年01月01日 新春企画

油まみれの丸紅時代

荒川 正三 (1959年入社)

 最近日課となった午睡の後テレビをつけたら、往年の演歌第一人者・北島三郎が“はるばる来たぜ函館へ~”と声を張り上げ歌っていました。既に全盛期を過ぎ、今や長老の域に達した彼の姿をやや同情気味に見ていたのですが、いや…一寸待てよ…少々歌詞を変えて“長らく生きてきたぜこの歳まで~”と歌ったら、いつの間にやら八十路の坂を越えてしまった今の自分の姿そのものじゃないか!と思えて、少々複雑な気分になりました。


丁度60年前の年男として社内報丸紅に掲載された時の記事
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 思えば今から60年前、世の中はGolden Sixtyの夜明けと沸きたち、事実その後の長い高度経済成長の出発点となった1959年4月、大手町ビル12階の丸紅飯田燃料部石油課配属でスタートした私の丸紅人生でしたが、出社初日、取敢えずこれでも読んでおけと渡されたのが分厚い電報の束1)普通の英文電報と2)和文ローマ字綴り電報(LT)の2種類、字数節約と機密保持の為に暗号コードブックにも精通しておけ、との厳しい命令でした。入社3年で最初に命じられた海外出張は、革命直後の混沌としたバグダッド。途中、長旅の南回りPanAm機が徐々に高度を下げレバノン山脈を越えたと思った瞬間、目の前にぱっと広がった紺碧の地中海と白壁・赤屋根の美しいベイルートの景観は未だに忘れられない感激です。

 爾来、石油資源が偏在する中近東とそれを独占する石油資本の拠点ニューヨークを行き来しての原油買い付け業務が続きましたが、1960年代に台頭したOPEC(石油輸出国機構)がオイルメジャーの石油権益を国有化。以降、中近東アラブ産油国国営会社からの直接買付…所謂D/D(Direct Deal)に明け暮れる日々となりました。その間中東駐在の足場に選んだベイルートではレバノン内乱の激化でロケット砲の飛び交う中の国外脱出。また、ホメイニ革命で意気上がるテヘランでは、不気味なNIOCとのイラン原油買付交渉、そして1991年1月11日、現地時間早暁4時、湾岸戦争の危険を避けアブダビに避難していた中東駐在員全員が固唾を呑んで見守る中に流れた『多国籍空軍機がバグダッド空爆を開始した』と告げる、CNNの緊迫したテレビ画面、等々忘れ難い記憶が残ります。

 石油を求めて東奔西走の人生は、資源に乏しい日本の高度経済成長には必要欠くべからざる大切な仕事だった、と胸を張りたい一方、黒くドロドロした原油その物は公害の撒き散らしや昨今の地球温暖化など、一役も二役も買った負の遺産でもあったなあ、と内心忸怩たる思いもあります。ただ、長らく生きて来たご褒美なのか、それらの不都合な真実や出来事は、好都合にも徐々に記憶の彼方に薄れて行き、今や年相応五体ほぼ満足で安穏な生活を送っている自分です。

 2020年庚子の年の今年8月には、半世紀ぶりの東京オリンピックで日本中が沸くでしょうし、秋には待ちに待った丸紅新本社完成という一大イベントも待ち構えているので、まずは体力・脳力・気力の減退阻止/維持を最重点に、善き好々爺の充実した一年を目指します。



(あらかわ しょうぞう・1959年入社・千葉県在住)


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