新春企画

2019年01月01日 新春企画

介助付きスキー

松村 洋 (1957年入社)

筆者近影

(其の1:15年前)

 「何これ、ただのボーゲンじゃないの?私、スキーの板を担いで滑れます。」
 バブルが弾け、赤字続きだった、新潟県南魚沼のスキー場経営立て直しを頼まれて社長を引受け、苦労をしている友人の慰労に出掛けたついでに、スキー道具を借りて、ちょっとだけ滑って見た時の写真を、当時、私(丸紅顧問)の世話をしてくれていた“アラフォー(古語?)嬢”に見せたところ、彼女は即座にこう言い放った。
 スキーの経験は殆どなく、無情な言葉に反論もできずに終ったが、何かの折に、件の社長殿に話したところ、彼は頼みもしないのに、“然らば”と、せっせとスキー板、ウェアー、ブーツなどとともに、シーズン通しのリフト券を手配、更に、指導係としてスキースクールの校長先生を指名、あっという間に、68才、初心レッスン生が仕立てられた。​

(其の2:その7年後)

 「小学校以来、およそ試験なるもの、落ちたことは無いのです(落ちそうになった事は多々ある)。人生最後の最後の処で落とさないで!」
 特別レッスンが始まってから5年後、菅平で、バッジテスト2級に挑戦、テスト前の講習で指導員に懇願してみたものの、本番では、スタートが年の順、ぶっちぎりの一番目。緊張の余り、出だし急斜面で大転倒、「評定外」であっさり落第。
暫くは、気落ちした日が続いたが、例のアラフォー嬢や、スキー場の人達に励まされ、遅々として進歩したのか(先の短い老人への加点が有ったのか)、2年程して、念願の2級のバッジを頂いた。運転免許以外、私の唯一の公認技能資格である。

(其の3:そして今)

「おー君、雪に乗れてるね!」と、滑っていると、ブーツの下から雪が褒めてくれているように感じる瞬間がある(めったにない)。スキーの醍醐味、これに尽きる、が、80才を超えた今、足、腰、筋力の衰えは、如何ともし難い。無謀な老人の骨折を心配した社長殿の配慮で、滑る私の前と後に(介助の)指導員が付いてくれる。彼は「こんな事になるのだったら、猪突性高齢者に、スキーを勧めるのでは無かった」と後悔して居るに違い無い。

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(まつむら ひろし・1957年入社・埼玉県鴻巣市在住)


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