新春企画

2019年01月01日 新春企画

84歳を迎えるにあたって

坂本 健 (1960年入社)

 明けましておめでとうございます。今年は暦の上では己亥年で、亥年生まれの人達にとって縁起の良い年になるそうです。私も5月で84歳になります。


筆者近影

 1960年(昭和35年)、丸紅飯田に入社。最初は、当時まだ大阪にあった本社財務部に配属されましたが、入社後僅か3年半の63年(昭和38年)9月、バンコック支店に会計係として赴任、4年半の駐在を経て帰国後、財務部からエネルギー部門に異動しました。その後も、フランス会社、アルジェ支店などの海外勤務を経験、特に70年代後半のフランス会社勤務を挟んで、本社原子力部や電力用炭部において、電力会社を相手に発電用ウランや石炭の売り込むべく、ひたすら頑張りました。93年(平成5年)、本社から丸紅ユティリティ・サービス㈱に異動、入社39年後の99年(平成11年)に、64歳で退社致しました。

 その前から父親の老衰が始まっていましたので、退職後は父親と同居して介護に当たるようになり、5年後の2004年(平成16年)に98歳半で亡くなるまで父の世話をしました。その頃一番困ったことは、介護がいつまで続くか予測できないために、次の仕事として何をいつから開始すべきかの見通しもつかず計画も立てられないことでした。
 高校時代の恩師である藤崎一史先生から、「戦争に敗れた日本が生き残るためには東洋のスイスになるしかない」と言われていたことを想い出し、父の死後は観光業に従事してもいいなと考えて、観光業の営業を学び国家資格も取得し、観光会社を立ち上げるために、2001年(平成13年)春、国際観光専門学校に入学しました。ところが、その年9月にニューヨークで高層ビルが飛行機により破壊されるなど、未曽有の同時多発テロが発生したため、日本から米国や欧州への観光客が激減してしまいました。この時の航空便・ホテルのキャンセル及びその後の海外旅行・観光の手控えの影響で、多くの観光業者が倒産したと聞き及んでいます。そこで国際観光専門学校は卒業し観光業の営業資格も取得できたのですが、少々方針転換を致しました。
 つまり外国に出掛ける日本人観光客を相手にするのではなく、外国人の日本観光のお手伝いや日本国内での滞在・営業許可の取得をする仕事です。実際は日本で働く中国人またはその家族の入国許可・営業許可の仕事ばかりで、観光の仕事はなく、行政書士の国家資格を取得せざるを得なくなり、更にお客探し兼通訳として、日本に帰化した中国人の助手を雇い入れたりしましたが、素人の悲しさ、上手く行きませんでした。
 それからの数年間は顧客も少なく、営業活動も実らず利益も上がらずに苦労しましたが、幸い遠い親戚の医師から医師会への従業員労務報告、経理事務・確定申告業務などを手伝ってくれと言われ、それからの約10年間は経済的にも時間的にも楽ができました。お蔭様で妻や息子夫婦・ゴルフ友達とともに、中国・タイ・トルコ・ギリシャ・イタリア・フランス・イギリス・インド・ネパール・ブータン・モルディブなどへの海外旅行や、丸紅経理部OBたちとともに北アルプス・那須高原・蔵王山・奥多摩・大菩薩峠へも旅行できました。


同窓・同期の仲間と
後列右から2人目が筆者

 しかし80歳になると状況は急変しました。先ず腹痛に悩まされ、大腸腫瘍だと言われて開腹手術を受け、幸い癌ではないと言われて安心していたところ、今度は血尿が出て医者に行くと膀胱癌と言われ、内視鏡手術を2回も受けました。その後は数力月毎に癌が再発していないか検査を受けています。更に白内障の手術を受けたところ、緑内障だと言われ、眼圧を下げる目薬を死ぬまで朝晩点眼するように言われています。
 入院生活の影響か運動不足のためか50年間続けているゴルフも飛距離が半分近くに落ち、スコアも初心者並みになってしまいましたが、未だ続けています。その他の健康法としては、退職後ヨーガ・気功・太極拳を週一回ずつ続けており、また最近は一高寮歌を歌う会「詠帰会」に毎月一回参加して英気を養っています。丸紅OBの絵画を描く会「MOBAC」にも参加していたのですが、眼が悪くなってからは何となく億劫になりました。その他に休まず参加している会に、「大学入学年時のクラス会」、「昭和35年東大卒丸紅OB会」、バンコック支店仲間の「サワディ会」、「エネルギー本部OB会」と菩提寺での「お念仏を唱える会」があります。残念ながら「フランス会社OB会」は副島勲さんが亡くなられて開催されなくなりましたが、復活されんことを祈ります。
 旧友と再会し、大声で歌い楽しく話し合うのが長寿の秘訣だと思われますので。


(さかもと けん・1960年入社・東京都西東京市在住)


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