新春企画

2019年01月01日 新春企画

博多の地からご挨拶

鶴田 敦盛 (1971年入社)

 「人間五十年、下天のうちをくらぶれば夢まぼろしのごとくなり」


2018年9月 大阪在住の長女と柳川川下り

 信長が好んで舞った幸若舞「敦盛」の一節ですが、私の丸紅人生も、もうすぐ50年の節目を迎えようとしています。
 1971年(昭和46年)、丸紅飯田株式会社の見習い社員として300人を超える同期とともに入社、半年後に「五等社員に任ず」との辞令を拝受しました。翌年1月、竹橋の新社屋完成とともに大手町ビルより移転し、社名も丸紅株式会社に変更されましたが、四等社員に昇格することもなく、新人事制度に移行しました。
 爾来15年間を東京本社で、また15年間を海外勤務で、主として鉄鋼原料(鉄鉱石、合金鉄等)の開発輸入及び三国間取引業務に携わり、2001年(平成13年)、高校卒業以来35年ぶりに故郷福岡に戻り、丸紅テツゲン(株)九州支店に転籍、その後12年間を鉄スクラップの国内取引に従事して退職、丸紅社友会に入会してから早7年目を迎えています。 

 団塊の世代の真っ只中に育ち、小中学校の同期生、また高校の同期生もそれぞれ約600人と、数多くの、というか多過ぎる地元の友人たちに恵まれ、同窓会も活発で還暦旅行はお伊勢参りに、昨年は小中学校と高校のクラス会で、それぞれ2泊3日の善光寺参りと4泊5日の北海道への古希の旅を楽しみました。
さて次は喜寿の旅をどこにしようかと今から計画している元気な仲間たちですが、毎年一人二人と欠けていくのがやはり寂しく気になるところです。

 このところ脊柱管狭窄症による左足の痛みが進み、歩行が困難となった為、同級生や町内会同好会の方々で毎月楽しんでいた下手なゴルフは断念、現在の唯一の楽しみは友人たちとの飲み会となりました。
腰を曲げ杖を突きながらよたよたと出歩く姿は自分でもいささか滑稽な感がありますが、飲めなくなったら人生終わりとの信条の下、今暫くの間は頑張って飲み続けたいと願っている毎日です。

  「酒なくて何の己が桜かな」


(つるた あつもり・1971年入社・福岡県福岡市在住)


バックナンバー