新春企画

2017年01月01日 新春企画

政治としがらみ

日高 俊朗 (1957年入社)

編集部註:
今年年男になられるはずだった日高俊朗さんが、昨年12月21日に急逝されました。
なお、編集部では日高さんからすでに、当企画の記事として掲載予定の原稿を頂いておりましたので、
ご遺族のご了承を頂きまして、ここにご紹介します。
謹んで、日高さんのご冥福をお祈りします。


ありし日の日高さん


 退社していつの間にやら四半世紀が過ぎた。まだなんとか元気だが、いつまで続くやら…。
 平成29年は酉年、私は7回目の年男を迎え、3月に84歳になる。年男ということでご要請もあったので、近況報告も兼ねて一筆書いてみた。人生は長い。元気でいきましょ!
 富士山麓の田舎育ちの私には都会生活はなじまない。通勤は辛かったが住居だけは静かな田舎を求め、40年も前、東京近郊の某市に住みついた。然しながら退職後、常時この地で生活し始めると、田舎都市の政治・政策の退廃ぶりが如何にも気になって来た。
 13年前、T大学で地方政治を専攻した方が市長選に立候補し、当時の現職市長も含め、候補者4人による公開討論会があった。旧態依然たる保守体制を批判し、東京外苑都市建設の抱負を説く彼の政策には感激した。演説後直ちに感想をメールした。残念ながら年若い新人という事が原因だったのだろう、僅差で落選した。暫くして本人から後援会加入を懇願され、これが私の地方政治に関わる端緒となった。 

 後援会に入り、10人ほどで活動を始めた。4年後の市長選で初当選、更に4年後再選され、昨年4月には3度目の市長選挙が行われた。常務委員として後方支援を手伝ったが、これまでとは雰囲気が全く異なり、後援会参加者は役員クラスで10数名、協力者は40-50名に及んだ。更に県内外の県議・市長からの、いわゆる「為書き」(→編集部註)と称する応援看板がなんと100枚以上、様々な団体からの推薦状が60枚近くに及び、事務所の壁だけでは貼りきれず、天井にまで貼りつけた。来客は引きも切らず、現市長への評価と期待感が伝わって来た。
 選挙戦は共産党候補1名、無所属候補2名で行われ、投票率42%。我々の擁立する候補が6割の票を獲得、他の2人は其々2割。圧勝した。2期8年間の業績が評価されたのだろう。
 当選が確定し、片づけも終わった。最後に後援会メンバー30-40人で慰労会を行った。会は喜びに沸き返った。関係者の挨拶も終わりに近づいた頃、司会者から、「本日最後のご挨拶となりますが、日高さん、締めのひと言をお願いします!」とお鉢が回ってきた。
 突然のことで何の用意もしていなかったが、気になっていたことがとっさに頭に浮かんだ。
「当選、本当におめでとうございます。これまで関係した者として、ひと言申し上げます。今回の選挙は前回、前々回と甚だしく異なる点が有ります。それは大変な数の人と団体が積極的な応援と手伝いに回ってくれたということです。評価されている事が分かるというのは大変嬉しい事ですが、言葉を変えれば、それだけの「大変なしがらみ」が増えたということです。このしがらみをどう捌いていくか、間違っても飲み込まれないように!これで終わります。市長さん、頑張って!」
 複雑な人間関係、利害関係に巻き込まれると、目指す政治が出来なくなる。政治は難しいし、怖いものでもあるが、市民としてはいわば義務と思って市政改革を唱えてきた。市長に対する協力が実を結びつつあることは感慨深い。


編集部註:書画の落款に、依頼者の名前など、書いた理由を書き添えたもの。
     転じて、選挙の際の応援看板(ビラ)を意味することもある。


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