新春企画

2016年01月01日 新春企画

平凡人の日常と独善的死生観

高橋 邦雄 (1968年入社)

修了証書授与

 今年の干支は申年、私も、今年7月には72歳になる。社友会HP恒例の新春企画で、年男にとしての感想や現在の生活ぶりについて書いて欲しいとの依頼を受けた。私は事情があって、54歳の時、丸紅を早期退職し、その後、丸紅を外から眺めていたこともあり、このような声が掛かるとは夢にも考えていなかったので、ある意味では、とても有難いことと思っている。

 しかしながら、改めて自分を見つめ直してみても、他人に読んで貰いたい特別のことがある訳でもなく、何を書くべきか、ハタと困っている次第(急遽、過去の先輩諸氏の投稿を読ませて頂いたが、実に立派なものばかりで、益々自信喪失に陥っている)。そこで、なんの変哲もなく、自慢出来る話もない私を、選んだ方が悪いんだ(?)と開き直り、平凡人の日常を報告すると共に、間違いなく近づいている、“死”についての独善的“死生観”を書いて見ようと思う。



私の日常:

“教養”(今日、用事がある)と“教育”(今日、行く処がある)に努めている。
1.外国人への日本語教育:週2回、現在は中国人2名に日本語を教えている。昨年、ABICの講習を修了し、10月から地元東戸塚の交流会館で、開始した。
2.ゴルフ:週2回の練習と、様々なグループのコンペへの参加。
3.囲碁:湘紅会の囲碁部のメンバーとして、週1回、碁会場での手合わせ(インターネット囲碁対局も、自宅で随時やっている)。
4.麻雀:仲間と、都内雀荘で、月3~4回程度。
5.万歩会:湘紅会の万歩会のメンバーとして、月1回の歩こう会を満喫している。
6.旅行:夫婦で、年1回のペースでの、国内、海外旅行を心掛けている
7.読書:上記以外の時間は、殆ど図書館で、今まで読んだ、または読めなかった国内外の古典を中心に読み漁っている。

私の死生観:
 今までに、色々な宗教の本を読んだが、心から納得できる“死生観”には巡り合わず、いずれも“あの世”とか、“浄土”とかの表現で誤魔化しているとしか思えない(もっとも、誰も“あの世”に行って帰って来た人がいない訳で、仕方ないが…)。
そこで、私は、全く独善的ではあるが、“死”とは、海外転勤と同じではないか、と考えるに至ったのである(最初の海外転勤の時を思い出して欲しい)。
全く新しい(異なった)土地で、新しい(異なる)言葉で、新しい(異なった)仲間と生活するのなら、“死”は、決して悲しむものではなく、新たな“旅立ち”であろう。この考え方に基づき、私は、家族に、自分が死んでも、葬式も、墓も要らないと伝えてある(妻は、未だ100%は賛同していないが…)。


修了スピーチをする筆者

 皆さんは、誰も逃れることの出来ない“死“をどのように考えていますか?“あの世”はどのような“世”と思いますか?

 考えても解らないことは、悩んでも仕方ありませんので、ただ、その前に、今現在を、“教養?”と“教育?”で、楽しまなければ…。

 写真は、ABIC主催の“外国人に日本語を教える”講座の修了式での2コマです。
 一枚は、ABIC 斎藤理事長(丸紅OB)からの修了証書授与の場面
 一枚は、修了スピーチの場面で、内容が大受けし、その為か、その後の受講生同期会の会長に推挙された。


(たかはし くにお・1968年入社・神奈川県横浜市在住)


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