新春企画

2018年01月01日 新春企画

戌年に寄せて

德永 良輔 (1957年入社)

筆者近影

 この度、社友会ホームページ編集委員会より、84歳の年男として、何か書くようにとのご依頼があり、なぜ私が?と思いつつ、「戌」特有の従順さから、うっかりお引き受けして、「しまった!」と思いつつ、キーボードを叩いています。
ものの本によると、戌年の戌は、「良犬」のことを指しており、十二支の中で、最もおとなしく、誠実であると言われ、戌年生まれは、外国人が思う日本人の性格の持ち主が多いとされています。
 私、德永良輔は、昭和9年5月に大阪で生まれ、1年後、父の仕事の関係で、神奈川県横須賀市に転居しました。現在鎌倉市にある栄光学園高等学校(当時は横須賀市にあった)、そして慶應義塾大を卒業して、昭和32年に丸紅に入社し、4年半の大阪勤務の後、東京に移りました。仕事はずっと鉄鋼畑です。
丸紅生活の中で、思い出の深いものを一つ書いてみます。会社に入って9年目のある日、大阪時代に外為の仕事でお世話になった先輩で、丸紅従業員組合の元副委員長だった人に、数人が突然ホテルの一室に集められ、「この中から、誰か従業員組合の三役に立候補しろ。結論が出るまで今晩は帰さない。」と、無理難題を言い渡されました。大阪にあった人事本部が、翌年から東京に移るために、組合本部も東京に移すということでした。結局、それまで代議員もしたことのない私が貧乏くじを引かされ、中央執行委員長に立候補させられた上に、対立候補なしと言うことで、委員長になりましたが、今から考えると、まさに「戌年」生まれでした。
 その年の秋に、会社は、「東通」と合併しましたが、それまでの給与格差を是正するため、ベースアップ時、組合の中でも大もめにもめました。幸いにして、最終的には組合員の皆さんのご理解を得て、どうにかまとめることができましたが、当時は、専従制度がなかった(この年度に専従協定を締結)ため、組合役員は、昼は仕事、夜は組合活動と、ずいぶん無理をしたものです。ただ、今思うと、それはそれで良い思い出となっています。
 4年ほど前に、ひょんな事から脳腫瘍が見つかり、午前10時から夜中まで、14時間もの大手術を受けました。そのあと、40日に亘る入院で、一時、体重は10キロほど落ち、体力も激減しましたが、少しずつ回復し、昨今では、若者に混じって、なんとかゴルフもできるようになりました。もちろん昔のような飛距離は出ませんが、ラウンドできる喜びを味わっています。
 現在は、母校(高校)の後援会やロータリークラブでの奉仕活動などで、少しでも社会のお役に立てるよう頑張っています。幾つになっても 戌年は戌年です。


德永 良輔  (とくなが りょうすけ・1957入社・神奈川県三浦郡在住)


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