新春企画

2015年01月01日 新春企画

年男の思い出-“What a wonderful world.”

渡辺 壯嘉 (1965年入社)

筆者近影

 早いもので・・・と良く言いますが、考えてみれば年男はたった6回目です。やはり区切りの良い10回はやらねばと思い健康に気を付け出したら、ゴルフが無茶苦茶飛ぶようになりました。と言う訳で、今回はゴルフの話、それも思い出深い海外駐在地のゴルフ場からテヘランとカラカスのお話を。
 テヘランはインペリアルゴルフクラブと言う大層な名前のゴルフ場で、時の権力者、シャーハンシャーが金に糸目をつけず茶色い瓦礫の土漠に緑の絨毯を敷き詰めたものです。最近テレビで時々見られるアリゾナスコッツデールやパームスプリングスのゴルフ場を思い出して下さい。


 目に染み入るグリーンのフェアウェイのあちこちに設置されたスプリンクラーからふんだんに撒かれるエルブールズ山脈の雪解け水が太陽に反射してキラキラ光る様が今でも目に浮かびます。ところが一歩フェアウェイを外すとラフは一面の石コロだらけ。ボールは何処に弾むかインシャ・アッラー、最後は石と石の間に収まることになるので、ここではローカル・ルールでラフは常にリプレース有りです。ただし手ではなくクラブフェースで動かすと言う何とも言えない融通無碍なペルシャ風コンプロマイズです。


 シャーの時代とは言え一応はイスラム教ですから、お昼近くになると、其処此処のミナレットからアザーンと呼ばれるコーランの朗読が流れてきますが(言い忘れましたが、このゴルフ場は街の北部、王宮に近い高級住宅地の中にあります)、
これが何とも哀愁を帯びた短調の好いメロディーなのです。ある時、アザーンを聞きながらキャディー(と言っても15才位の子供達ですが)に、日本にもこれによく似た歌があるので聞かせてやろうと、三橋美智也の“ワ~ラ~にまみれてよ~”を思い切り小節を効かせて大声で歌ったらこれが大受け。その後、暫くは行く度にせがまれた、テヘランの良き時代の思い出であります。革命後はこのゴルフ場も革命防衛隊の練兵場と化し、見るも無残な姿になってしまいましたが。
 一方カラカスは赤道近くに位置しながら高度1,000mにあり、そこにいるだけで快感を覚えるような気持ちの良い気候が一年中続くので、動植物の居住環境としてはナイロビ、ヨハネスブルグ等と並び、世界屈指の場所と言えます。


 ゴルフ場もカラカス市内、近郊に合わせて5~6ヶ所有りましたが、当時は一部富裕層と外国人しか行かない場所でした。
ジャカランダやアカシアの木、各種の蘭や良く手入れされた熱帯の花々が咲き乱れ美しさを競っていましたが、それにも増して興味深いのが野生動物達です。池にはワニがノンビリ甲羅を乾かしているかと思えば、木々の梢には何とミツユビナマケモノが超ゆっくり、しかし着実に枝から枝へと渡って行きます。夕方近くなると姿を現すのが全長2mはあろうかと言う巨大なイグアナです。全身グリーンのウロコを光らせながら、フェアウェイをノソリノソリと横切って行きます。この頃になると、我がもの顔で空を飛び廻るのが極彩色の大きな大きなインコ達です。もう少し暗くなるとコウモリの出番となります。
こうしたジュラシックパークさながらの雰囲気の中でゴルフを終えシャワーを浴びた後で、キンキンに冷えたビールとラム酒のミクスチャーにブツ切りのフルーツを入れてぐいぐい呑み、カルネ・メチャーダ(ベネズエラのお国料理。細切り肉のトマト煮込み)をつまめば正に天国、明日からまた頑張って仕事をしようと心身共にリフレッシュする訳です。


 ある日、我々の前を女性の3人組がプレーをしていました。イタリア系かスペイン系の如何にもお金持ちの奥方然としたハイブロウな感じの白人女性達ですが、これが大変、3人でベチャベチャお喋りをしながらゴルフはついでにやっているだけでどうでも良いといわんばかりの超スロープレーです。暫く我慢していましたが、ついにたまりかね文句を言いました。
その時返ってきた言葉が余りに素晴らしかったため、今でも忘れられません。
「早く行けとはお前は何てバカなことを言うのだ。此処はゴルフ場であって私達は競馬場に来た訳ではない!」
その後、ハーフ終了したところで先に行かせてくれましたが。


 テヘラン、カラカス共にホメイニ、チャベスの時代になってからは様変わり、今駐在の社員の皆さんはさぞかし御苦労が多いと思います。世の中、先の事はどうなるか分かりません。社友の皆さん、残り少ない人生は今を楽しく生きることを心掛けましょう。


(わたなべ たけよし・1965年入社・東京都世田谷区在住)


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