新春企画

2015年01月01日 新春企画

双葉山の前で相撲を取った話

石井 康裕 (1988年入社)

 私は今年7度目の年男となるが、これは、今から60年ほど前、まだやっと2度目の年男になった前後の話である。
 私は、昭和29年(1954年)に富士銀行(現みずほ銀行)に就職したが、入行して間もない6月ごろ、普通預金窓口で入金の事務を扱っていた私のところに、毎日、日本相撲協会の人が現れていた。


ご自宅にて。
右の机に相撲弐段の免状が見える

 当時、相撲協会は何かトラブルに巻き込まれていて、税務上の優遇を受けていることに社会の強い批判を浴びていたこともあり、何かここでリカバリー・ショットを打たないとその優遇措置も取り消されそうな気運であった。そこで優遇の基礎である体育奨励を何とか社会に示すべきということになり、その一環として、社会人を集めて相撲を教えようということになった。
 窓口に居た私は、終戦から間もない当時の基準からすれば「いい体」と目され、「是非この企画に加わってほしい」と白羽の矢を立てられる形になった。実を言うと、私も中学、高校時代に相撲部のキャプテンをしていて、まんざら嫌いでもなかったので、お受けすることにした。早速、褌(まわし)を調達して、地元の酒屋、八百屋等々の小僧さん達と一緒に蔵前の国技館(当時)に集められた。


相撲弐段の免状

 勝ち抜きの試合など、しかるべき手続きを踏んで、最後に残った、私を含む数名が「初段」に任ずる旨の免状をもらった。当時、銀行員が相撲を取るのは珍しく、雑誌「相撲」に取り上げられたりもした。その後は、一週間に2・3日は蔵前へ行って、基礎的な稽古をつけてもらった。素人とは言っても立派な体格の青年ばかりがぶつかり合う稽古なので、生傷が絶えなかった。
 翌年の初夏にまた、トーナメントの試合が行われ、その中で最後まで残った、
私を含め4人ほどが「相撲弐段」の免状をもらった。元横綱双葉山の時津風指導普及部長(当時。後に理事長)名の立派なものである(写真参照)。


 当時指導に当たってくれたのは、元関脇・小結の三役クラスを筆頭に元幕内・十両の関取クラスばかりであり、引退後といえどもまだ瑞々しい身体つきであった。流石に時津風理事長が直接指導してくれることはなかったが、時々稽古土俵の傍で、じっと見守っていたのが印象的だった。時には酒席に加わってくれることもあり、一杯やった時の酒の強さも別格で、流石は、と思わせたものである。無敵の横綱白鵬といえども、未だに破れない69連勝の記録を持つ、文字通り不世出の大横綱と間近に接することができたのは、相撲が名実共に「国技」であった時代の貴重な思い出である。


(いしい やすひろ・1988年入社・東京都三鷹市在住)


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