新春企画

2013年01月01日 新春企画

六度目の干支を迎え気を新たにす

羽藤武臣 (1964年入社)

 今年は年男である。満72歳となる。
 入社した頃は、70歳代の人を見ても、あんな年寄りになるのだとは想像すら出来なかった。しかし、終にその年になってしまった。なってしまうと、自分ではいまだに年寄りなどになったと思うことはないが、今年入社した若い人には、どう見えるのか気になるところである。又可能なら当時の年寄りはその時自分をどう見ていたか聞いて見たいものだ。


 昨年末埼玉県の従業員7,000名の中規模の運輸会社の幹部候補生約30名を相手に「私の異文化交流体験」と言う演題で1時間半講演した。そして初めてパワーポイントを使って資料を作成した。準備するのに、半月掛かったが、新しいことをやる楽しみを感じた。同時に学生時代から今迄の思いでが走馬灯のように思い出された。


2009年シンガポールのナザン大統領来日時、歓迎会に出掛ける直前自宅にて

 1960年の安保騒動、ノンポリの小生も国会までデモに出かけた。1961年ケネデイー大統領の当選に世界の新しい指導者が出たと興奮し、1963年その暗殺に悲しんだ。1971年ベネズエラ駐在時ニクソンショックに会い、会社が潰れると思った。1976年ロッキード事件で会社の前でデモに会い、ショックを受けた。1997年シンガポール支店長時代アジア金融危機に出会い、被害を受けた。2001年会社から自宅に帰った時、TVで9.11テロを見て、一瞬ハリウッドの映画かと思ったが正に震撼とさせられた。
 会社を退職した後、縁があって、解散危機にあった日本シンガポール協会の副理事長として、その再建に当たり、個人会員の増強、イベントの充実、又各地のシンガポール協会との連携を深めるなどして軌道に載せることが出来た。特に一昨年の東日本大震災の時は、シンガポール大使館のNO.2であったベイ公使とタッグを組み、日本シンガポール協会、各地のシンガポール協会、在日シンガポール人協会、在日シンガポール企業等から700万円に近い寄付金を集め、日本赤十字社に寄付すると同時に岩手県陸前高田市に交通手段のない、お年寄りを運ぶための車を2台送って感謝されたことも記憶に残る仕事であった。


 個人的には、退職後、中国語に興味を持ち、独学で勉強を始めた。2年前3級に合格。現在2級を受けるべく頑張っている。又指の運動が大事だと言われ、イヤホンのついた電子ピアノを購入し、これまた独学で指の運動をしている。麻雀は辞めた。
 昨年、会社の同僚で、夫婦で何回も一緒に海外旅行をしていた親しい友人が急に亡くなり、寂しい思いをしているが、文藝春秋でサッカーの本田圭佑が「僕は何が起きてもポジテイブに考える」と書いてあるのに出会った。この先どの位頑張れるか分からないが、何事も前向きに捉え、何か機会があれば、更に新しいことをやって見たいと思っているこの頃である。


(はとう たけおみ・1964年入社・東京都新宿区在住)


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