新春企画

2025年01月01日 新春企画

現役時代の思い出

西岡 時月 (1964年入社)

 1964(昭和39)年丸紅飯田株式会社絹化合繊本部(守寛本部長)短繊維部(高橋正人部長)織物輸出課に入社、スフ(Spun Rayon)織物輸出の担当となった。
 入社時の課長は宮崎課長だったが、しばらくして海老原課長に交代した。
 入社した当時はカブール駐在員の藤谷さんに可愛がってもらった。ラゴス駐在員の友繁さんに顧客のクレームを受け付けられないと断ったら「貴方態度冷たすぎる、貴名知らせ!」と電報(当時はまだTelexが通じてなかった)で怒られたことを覚えている。

 東レの担当者と一緒に大きなトランク(当時はキャスター付きのトランクは無かった)10個くらいを提げて中近東に出張。ベイルートを拠点にしてクウェート、サウジアラビアなどに出張販売を行った。
 当時のサウジアラビア・ジェッダにはまともなホテルは無く、シャワーは赤い水が出たり出なかったりの状態だった。もちろん日本食は皆無で炊飯器持参で出張したこともあった。
 アフリカ・ウガンダの合弁会社UGIL(Uganda Garment Industry Ltd)に出張して帰任する時、空港に着いたら普段はそれほど人気の多くない空港が、ハエだらけの人々で溢れ返っていた。人が増えた理由はオボテ前大統領の遺体がロンドンから戻ってきたためだとのこと。帰任の飛行機の機内に入ってようやくホッと一息ついた。

 エジプトのカイロ駐在中は毎月のように車で2時間かけてポートサイドに売り込みに行き、帰路は土堤づたいにスエズ運河沿いに戻った。時には砂嵐で全く何も見えなくなり、ひどい時は数時間砂に埋もれながら砂嵐が収まるのを待ったこともある。車窓にピラミッドが見えてくると、ようやくカイロに帰って来たと感じた。

 カイロ駐在から帰国した後も出張での中近東巡りは続いた。
 ある時クウェートで帰国日の前日に、嘉納中近東支配人と会食していて「イラン・イラクきな臭いですね」と言ったら「彼らは口だけやから何も起こらんやろ」とのコメントを頂いたので、その夜は安心して眠った。ところが翌朝ホテルのロビーに降りてみるとイラン・イラク戦争勃発でバスラから国境を越え、逃げて来た人々でロビーは溢れ返っていた。何とか飛行機に搭乗してほうほうの体で逃げ戻ったことを覚えている。

 次に駐在したニューヨークでは、休日に同期入社の仲良し3人でケープ・コッド近くに魚釣りに行って大漁を喜んだのだが、ニューヨークへの帰路交通事故に遭遇し福田駐在員が頚椎骨折の重傷を負ってしまった。翌日現地の病院から救急車でニューヨーク市に連れ戻ったが、その日にニューヨークに出張された竹内本部長から「39年入社組は何をしてる!」と叱られた。

 その他出来事は多々あるが、ここまでにしておこう。現在は週に2〜3回老々テニスを楽しんでいます。
 皆々さま 良いお年を!

(にしおか ときつき・1964年入社・奈良県在住)


バックナンバー