趣味のコーナー

2022年10月25日 趣味のコーナー

私の趣味 渓流釣りの思い出

宇野 和孝 (1963年入社)

渓流釣りに興じる筆者(2009年4月岐阜県石徹白川)

 中学3年の春休みに貴船川で一人の漁師に出会った。餌を川の流れの落ち込みに投げ入れてじっと待つ、落ち込みから餌が流れ出ると、また元の落ち込みに投げ入れる動作の繰り返しである。しばらくじっと立ち止まって見ていると、竿がしなり銀色のきれいな魚があがってきた。意外と大きい。魚の名を聞くとアマゴだという。貴船の旅館から頼まれて釣っている、餌はスズコだと。これはきれいな魚だ、自分も釣ってみようと思い立ち、早速翌週竿と餌を持って出かけた。落ち込みを何箇所か狙っているうちに少年の竿がしなった。手ごたえ十分だった。銀色のうろこにピンク色のマークが点々と、何ともきれいな姿だ。
 ギフチョウを初めて捕ったときと同じような興奮を覚えた。高校生になると昆虫少年は渓流漁師に変身した。小遣いを貯めては渓流釣竹竿を買った。釣シーズンは京都で3月16日から9月末まで、残雪を踏んで早春の渓流に立つ、アマゴが光る。何とも爽快な一瞬であった。大学に入ってからは、夏山リュックに渓流竿を忍ばせるようになった。イワナを求めて北アルプス黒部川源流へ梅雨明けを待って出かけた。新穂高温泉から三俣蓮華小屋を目指す。小屋から少し下れば黒部の源流である。雪渓の下で何度も釣り上げた。たくさん釣れたので素焼きにしてリュックに詰め伊藤新道を葛温泉へ下った。温泉宿のおばあさんに差し上げたら、昔はイワナで正月のお雑煮だしをとったものだと喜ばれた。

 1963年丸紅入社の年には社内の渓流好きの人たちを誘って大台ケ原へでかけた。
 吉田真策さん、塩谷雅二郎さんのお二人である。大学山岳部の紀行文が大台ケ原に悠々と泳ぐアマゴのことを書いているのを前年に読んでいた。それを実地調査しようとなり5月連休のバスに乗った。新緑の清流にアマゴは悠々と泳いでいた。ほぼ入れ食いであった。尺アマゴがかかった。重くて釣りあがらず浅場へ引きずりあげた。夜はきこり小屋に泊めてもらい、翌日尾鷲まですたすたと歩いて下った。
 同じ年の7月吉田さん、塩谷さんと三人で岐阜県馬瀬川へアユ釣りにでかけた。吉田さんの取引先の実家が馬瀬川にあった。解禁日の夜明けを待って釣り人が一斉に竿を立てる。一日が終わるころには何匹か釣れた。銀鱗をきらめかせ二匹のアユが手元へ飛び込む、胸おどる一瞬であった。


アマゴ


イワナ


 このアユ釣りの趣味は後日私と同じ課の後輩河野君(71年入社)に引き継がれた。
 1977年夏、奈良県十津川上野地の吊り橋の下でキャンプを張って、河野君と松浦君(同じ課の後輩77年入社)にアユ釣りを教えた。以降、河野君はアユ釣りの面白さにはまりこんでどんどん腕をあげ、北陸の急流九頭竜川に魅せられ入り浸りとなり、この川独特の九頭竜返しを会得して上級者の釣り師に上達していった。
 入社三年目の河野君を誘って黒部源流へイワナ釣りにでかけたのは1974年のこと、学生時代に二回、三度目の黒部源流へ、双六小屋を経て三俣蓮華小屋へ12時間歩いて到着、その日は明日のイワナを夢見てぐっすり寝た。翌日黒部の源流へ下ると何と渓はびっしりと雪で覆われている。学生時代に来た時とは様変わりである。雪渓を踏んでどんどん下ると、雪渓に穴が空き始めた。こわごわ渡渉して雪渓が終わった場所から竿を出すが昔のようにすぐ当たりがこない。釣り下がるうちに少しは釣れた。雪渓のすぐ下にテントを張った。夜半の寒気には参った。湯たんぽをこしらえてどうにか夜明けを迎えた。黒部五郎の沢をさかのぼった。すると、竿と大きなタモ網を担いだ人が下ってくる。タモ網のなかにサバほどのイワナが見えた。今夜の泊まりの客用に釣っている、毛バリ釣りだと黒部五郎小屋の主人は説明してくれた。それではと毛バリに変えて試す。突然大きなイワナが水中から顔を出すがタイミングが合わずなかなか釣れなかった。そろそろ小屋へ戻ろうとすると、下流から大きなキスリングを背負った女子山岳部らしき女性軍が遡行してきた。久しぶりに黒部の清流に足を濡らし三俣から双六の稜線で高山蝶タカネヒカゲを見て、急いで大阪へ戻った。


塩谷雅二郎さん(左) 吉田真策さん(右)

 そのほかの川でもイワナは源流に必ずいた。鈴鹿山脈の愛知川、比良山系の裏側の谷にも。
 北陸トンネルの上の日野川源流では、尾根筋にギフチョウが飛ぶのを見た。足元にカンアオイがたくさんあった。半月後にその尾根でギフチョウの卵を見つけた。20年ぶりの再会だった。三陸海岸では標高わずかな所でイワナの姿を見た。
 尾瀬の戸倉温泉に泊まったとき玄関の正面に45㎝ほどのイワナの魚拓が飾ってあった。主人に聞くと自分は尾瀬の見回り役を引き受けている、禁漁区ではあるが自分についてくればよいという。それではいつか頼みますといったまま、齢80を超えた。もう無理である。
 北海道へも何回か行った。然別湖周辺の川、糠平湖へ注ぐ川の上流で「熊注意」の看板を横目に、オショロコマを次々釣り上げ川原でホイル焼き、実に旨かった。
 釧路川で大物が掛かったがあっという間に糸を切られた。チラッと姿を見せたが凄い力だった。比良の同志社高校山岳部山小屋で仲間と飲んだイワナ酒、あの味は忘れがたい。
 あちこちへよく行ったものだと思う。あの日々、あの渓は遠くなってしまった。

(うの かずたか・1963年入社・大阪府在住)


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