趣味のコーナー

2021年08月04日 趣味のコーナー

丸紅写真部の栄光

船津 於菟彦 (1961年入社)

手にしているカメラはボックステンゴール54/2 1926年頃ツアイスイコン製。最近はクラッシックカメラに入れ込んでいます。

 1961年に入社して、当時は今で言う「六本木ヒルズ」のような大手町ビル勤務であの長い廊下を走り回りました。
 丸紅写真部の栄光について書きたいと思います。
 当時、10〜20名弱の写真部員がいたと思います。絵画部は朝倉攝さん上野誠さんとかそうそうたる方々が指導に来てくれていました。
 写真部も富士フイルムの支援で当時売れっ子の写真家松田二三男さんが指導に来てくれていて、モデルも当時は富士フイルムがフィルムと共に無料で派遣してくれていました。当時は三菱・三井・丸紅と3Mは競い、文化活動も競い合っていました。そんなことで当時は今では考えられないような講師の方々が丸紅大手町ビルに指導に来てくれていました。
 写真部は9階のお堀寄りにある診療室近くにレントゲン室があり、当然暗室もあり、村山技師の指導で時間の空いた時に暗室も使わせてもらい現像などもしたことを記憶しています。当時は当然モノクロ写真でカラーは高価でまだ普通には使用していませんでしたし、現像もハワイまで郵送して、ポジで出来上がって一月後に戻ってくるというような時でした。
 また、写真部は色々な行事があると総出で会社のためにも写真撮影をいたしました。当時高価なストロボも会社で買ってもらいました。
 そして当時は食品部が次々ベニー名称の製品を売り出し、発表会の撮影などもいたしました。


 



 


ミノルタSR-1

 撮影会は来宮荘・仙石荘を利用して一泊泊まりで、愉しく撮影いたしました。モデル・指導の松田二三男講師も帯同してくれる豪華な撮影会でした。
 当時のカメラはまだ大事に保管しています!ミノルタSR-1です。
 この箱根での撮影は1964年3月。今から見てもまあまあに撮れていると思います。
 まだ何もない東京オリンピック開催の年でした。57年の月日が経っています。「栄光あった丸紅写真部」、時は過ぎゆくですね。


(ふなつ おとひこ・1961年入社・東京都在住)


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