趣味のコーナー

2019年03月12日 趣味のコーナー

俳句との出会い

渡邊 盛雄 (1953年入社)

 1999年、長年の商社マン生活とその後の関係先への再就職など、営業担当として日本経済の高度成長の一翼を担ったとの誇りを胸に、65歳で第一線から完全に職を退き、しばらくの間、悠々とゴルフ、海外旅行を楽しんだ日々。その後人間ドックで前立腺癌が見つかり、手術、時に68歳。そして翌年、かねて念願であった四国八十八ヵ寺遍路に出掛け貴重な体験をした。お遍路に対する四国の人びとは優しく別世界に入った心地だった。一方、山寺に残る無縁仏のあまりの多さに驚き、少なからず人生観に変化が生じたものだった。旅の途中に寄った道後温泉の入り口近くの「正岡子規記念館」。その玄関横の大きな垂れ幕に、「毎年よ彼岸の入りに寒いのは」。 これを見て、ああ、これだったら俺でも出来るぞと思い、半日を遍路休みに費やし、子規俳諧のいくつかに触れることができた。四国路の古寺の境内に、街角に句碑が目立って多かったのも印象に残った。


きさらぎ俳句会 長寿蔵2Fにて

 その後、伊丹市中央公民館の生涯学習教室俳句同好会にて、小泉八重子氏(関西現代俳句協会副会長)から俳句の手解きを受け、約1年間辛抱の結果、少し興味も出て来た頃、師から、「あと3年、頑張って続けられたら如何ですか」と言われた。月2回の「きさらぎ俳句会」、俳誌(季流)へ年4回の出句を通し約10年間、言葉は優しいが鋭い指摘に満ちた指導を受け、作品を無視されたこともあり、それがどれだけ勉強になったことか計り知れない。現在病気療養中の師に、深い敬意を表するとともに、拝謝する次第。

 先人諸氏の言葉に、
俳句とは「心の内外を表現する芸術」。
作句することで大脳が活性化され、心身が若返る(呆け防止?)とか。

 毎日新聞の兵庫文芸俳句は晩学の私にとり俳句の道場であった、選者である和田悟朗氏、若森京子氏の厳しい眼に鍛えられながら入選250回を数え、その記念として未熟さを省みず、自分史の後半を生きて来た証しの句集、「帰り道」を上梓した。
 現代俳句の片隅で、型にはまらない自由俳句を自負し、多くの仲間と楽しんでいる昨今である。体力維持と憧れていた農人生活を楽しむために、友人のAさんから数十坪の畑を借り、教えてもらいながら始めた農園は早や20年となり、農薬を使用しない有機栽培が自慢で、かなりの腕前にもなった。早寝早起き、深酒しない生活のリズムが整い、四季の野菜作りを楽しむ中、農人俳句にも入り込むことができた。


句集 帰り道の表紙

 本音では小沢昭一さんの「俳句で綴る変哲半世記」の4千句を読み、これほど面白い句集は無いと思った。まさに俳諧自由、わが道を行く痛快句集である。黒田杏子氏は、「この句集は素晴らしい、国民栄誉賞に値する」と評価された。
 私もメンバーである俳句の同好会「青葉会」の仲間たちは多士済々、レベルの高い句会で、394回の歴史は大したもの。会の世話役(幹事)を40年近くされている今井紀久男氏の献身的な情熱には頭が下がる。

 人生百年の高齢化社会を「笑って生きる」。
 新しい友人を作るのに句会は格好の場所であること間違い無い。

 近詠
 処女と言う名の付く上梓淑気満つ



(わたなべ もりお・1953年入社・兵庫県伊丹市在住)
「季流」会員



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