1971年(昭和46年)入社の渡辺郁夫と申します。私は、入社時まで生誕の地(大阪府豊中市)を離れたことはありませんでしたから、名古屋支社化学品部合成樹脂課の辞令を研修(於 東京)後に拝受した際は、正直、寂しい思いがしましたが、独身寮の千種寮に荷物をおいて2~3日すると次から次へと仲間が増えて結果は総勢20人の新人がこの寮に集う結果となりました。総勢60人強の寮生の中で20人が同期ですから一大勢力となり先輩方には迷惑なことだったと思いますが、私にとってはありがたい独身寮でした。
仕事面で名古屋に赴任してラッキーだったのは、当時、自動車産業の発展が著しい時期でもありましたので、「物作り」について非常に熱心な中部地区の中小企業のオーナーさん方から随分勉強させていただき、後々の仕事に役立ったことです。私の名古屋勤務は、21年と長かったのでその間、世情は大きく変化していますが、印象にあるのは2度のオイルショックの後の不況時に商社冬の時代が到来し、トヨタグループはじめ大手家電メーカー(中部地区にはソニーなど各社の工場が沢山ありました)等が、私の担当商品の合成樹脂原料などをメーカーから直購入する「商社外し」という流れが広まり、危機感をひしひしと感じて商社機能の見直しをせねば、と焦ったことでした。「商社もメーカー分野に布石を打たねば・・」なんて真面目に仕事をした日々があったことを思い出します。
その後、当時の大阪本社、香港会社を経て、プラスチック関連業務の外出し会社丸紅プラックスの東京へ戻って定年を迎えさせていただきました。名古屋を離れてからの20数年は全て単身赴任でしたので現在は家族がいる名古屋に戻り、昔仲間との交流や孫守、健康管理(ジム通い)にいそしんでいます。
同輩の立川さんが長年頑張って幹事を務めていただいたので今般、私も多少、皆様のお役に立てればと幹事を引き受けさせていただきました。よろしくお願いいたします。