本年5月、北海道地区の幹事を承りました、矢向潔と申します。
1972年入社、鉄鋼本部に配属され、新築間もない竹橋の本社ビルから勤務スタート。
8年目の1979年、課長に呼ばれ、「札幌支店に行ってくれ」…「出張ですか?」…「転勤だよ。札幌が君を欲しいってさ」。異動を告げる時の常套句を真に受けて、張り切って指示通り札幌駅到着。生まれて初めての北海道。札幌支店のSさんの「電話くれ、迎えに行くから」に従い、「東京から来た矢向ですが、Sさんお願いします」…「Sは外出中で今日は帰社しません」…「ええーっ!」…「どんなご用件ですか?」…「・・・」。
これが後に骨を埋めようとまで思うことになる北海道との出会いであった。 定年まで札幌支店勤務などの希望が叶うはずもなく、遂に1994年、大阪への異動辞令。本部長の「5年位で札幌に戻してやるよ」との常套句を真に受ける歳ではなくなっていた。 阪神大震災、伊藤忠との統合、転籍、不況による倒産の連続・・結局15年となる大阪勤務は艱難辛苦の連続であったが、結果的に多くの友人ができ、貴重な15年となった。
2011年、北海道支社へという最後の異動辞令を獲得し、北海道に骨を埋めるという夢の実現が可能となったのである。 異動初日は前回と違い、事務所には連絡もせずに、ススキノの「みのる」という居酒屋に直行。昔馴染みの店で、大阪時代も出張の度に顔を出すと、「いらっしゃい」ではなく、「おかえり」といつも言ってくれる「みのる」のおかみさん。「あら、矢向さん!おかえり」…「本当に帰ってきたよ!」…「涙、涙・・」。
2013年、無事に卒業。その後は地元企業の経営に参画、この4月からは自営で仕事をしている。
今回社友会幹事として、お世話になった丸紅に少しでもお役に立てば・・と思っております。