行事報告

2022年10月24日 行事報告

2022年10月度関東地区社友会月例会

日 時 2022年10月20日(木)14時~15時30分
場 所 丸紅本社(竹橋) 3階 大ホール
講 師  山本 浩 氏(法政大学スポーツ健康学部教授)
演 題 残る遺産 受け継ぐレガシー ~メガイベントの現在地~

 10月度の例会は6月度同様本社大ホールでの来社方式と、ZOOM配信のハイブリッドで開催されました。
 講師の山本浩先生は元NHKアナウンサーでドーハの悲劇等の大試合を多数中継され、またその他数々のスポーツ解説もされています。現在は法政大学のスポーツ健康学部の教授であり、またスポーツ関連の多くの団体でも要職を務めておられます。



講演要旨

 残る遺産受け継ぐレガシー/レガシーは小事の積み重ね

 私は30数年スポーツの現場に関わってきました。今日はオリンピック3大会を中心にそこで起こったあまり伝えられていないお話をしたいと思います。

体操競技

2012年ロンドンオリンピック。体操男子団体には大きな期待がかけられていた。
初日の鉄棒予選で日本選手は主力の内村選手をはじめ全員が不振であった。その後日本は挽回したが、結果は中国が金で日本は銀であった。
この大会で使用された体操競技器具はフランスのGYMNOVA社製であった。日本選手が練習で使ってきた日本のセノー社製の鉄棒とは鉄棒のつなぎ目がビスかリングかの違いがあった。鉄棒のたわみに微妙な違いが出る。車輪技をかけた時の手の位置が数ミリ違う程度の差だが選手にとっては感覚的には極めて大きな違いとなる。
日本選手の一人は「やられたと思った」と語っていた。

4年後のリオオリンピックではGYMNOVAとドイツのSPIETH社の2社が採用された。SPIETHの鉄棒もやはりビス方式であった。だが今回は日本の体操協会は周到な準備をしていた。選手は早めに現地入りして器具の感覚をつかんでいる。結果は金メダルであった。

リオの後。国際体操連盟が演技は両足を揃えて着地しなければならないとの通達を出した。床運動の床下は日本製はスプリングだが海外製の多くはスポンジである。スプリングの方が少ない筋力で高く跳べる。日本選手はスポンジだと高く跳びにくい。一方着地はスポンジの方がスプリングより静止しやすい。
東京大会では体操競技の多くで日本製器具が採用され、関係者はほっとした。
この時国際体操連盟の会長は日本人であった。この辺は表に見えてこない部分である。
男子個人総合、男子鉄棒で日本は金メダルを獲得した。

競歩競技

次に競歩の話。最近引退を表明したが。荒井広宙という選手がリオ大会に出場し銅メダルを獲得した。日本陸連には医事委員会、科学委員会という二つの組織があり医師をはじめとする専門家(丸紅の山澤先生もメンバー)が様々な検査・分析に基づきアドバイスを行っている。この委員会が荒井選手の汗を分析したところ、荒井選手はマグネシウムが失われやすい体質であることがわかった。マグネシウムが少ないと筋肉のけいれんが起こりやすく、多すぎると筋肉の緊張・硬直が起こりやすい。荒井選手は適量のマグネシウムを含んだドリンクを飲んでトレーニングを行った。競歩の世界は地力が8割、コンディションが2割、あとほんの少し運があると言われている。地力があってもコンディションが少し悪いと大きく結果が違ってくる。かつて熱中症で危険な状態になりふらふらになってゴールしたケースがあったことから各国の競技関係者は選手の水分管理、体重管理には十分気を配っている。スポーツ選手の資質には、目に見えやすい体力・技術力のほかに目には見えない資質、例えば傑出した消化能力や事前の体重調整、水を失いにくい体質などがある。特に長距離選手にとっては水を失いにくい能力は重要である。実は荒井選手はこの能力に秀でた選手であった。そのうえ彼は途中のステーションで適量の水分を補給し水分調節をすることが上手であった。これは一つの技術でありうまさである。彼はフィニッシュした時も理想体重を維持していたと言われている。

もう一つ荒井選手に関するエピソードを紹介する。実は彼は48キロメートル付近でカナダの選手と接触をしている。接触した後も歩き続けて3位でゴールした。これに対しカナダが猛抗議をした。これにより電光板の表示が3位から失格に変更された。ルール違反を監視しているが、最高レベルの資格を持った人間がコースのすべてを監視しているわけではない。ゴールにいた日本のコーチ二人はこの接触を見ていないので何が起こったのかわからない。一方沿道でこれを見ていたもうひとりのコーチは逆に失格になったことに気づいていない。その後失格を知ったこのコーチがすぐに東京に連絡し接触の瞬間のテレビ映像を現地に送ってもらった。ルールでは正式発表後30分以内であれば上訴が認められている。
この時ゴール付近に英語堪能な女性陸連職員がいた。彼女は映像を持って猛烈な勢いで上訴委員会にねじ込んだ。同行した二人の男性コーチもたじたじとなるくらいの勢いだったらしい。
結果、この上訴は認められ判定はまた3位に戻ることになった。かつて柔道競技で日本の篠原選手が受けた判定に対し日本側が上訴しなかったことの反省が教訓になっていた。
この事件は選手とコーチを始めとするスタッフの信頼関係を保つうえで重要な出来事であった。

射撃競技

次は射撃競技の話。射撃はライフル2種目とピストル(クレー)3種目。日本はライフル射撃協会とクレー射撃協会は別団体になっているが、世界の大半は同一団体であり今後の課題である。
ところでライフル射撃では特殊な硬く重い革のウエアを着用する。ライフル射撃には「50m3姿勢」という種目があって、立って撃つ、片膝で撃つ、伏せて撃つの3種類をこなす競技があるが、ヨーロッパの選手が上位を占めアジアの選手はなかなか勝てない種目であった。銃の重さは最大8キログラムあり試合時間約3時間に120発の弾丸を撃つと相当疲労困憊する。そこで安定性を増すため硬いウエアを着る。もちろん硬さには厳格なルールがありそれに合致しないと使えない。多くのアジアの選手が重心を支えるためになぜ硬いウエアを着るかというと、そこには体型の問題もある。欧米人は左の肘が骨盤辺りにくるがアジア人は脇腹の辺りにくるので肘を固定しにくい。ところがアテネオリンピックで中国が金メダルをとった。ヨーロッパの選手は驚き硬いジャケットのせいではないかと言い始めた。そのため検査が厳格になった。しかし韓国が検査をクリアする新しいウエアを開発、北京オリンピックでまた中国の選手が金メダルをとり、規制の細かい再検討とそれに対する対応策が繰り返されることとなった。

射撃競技についてはもう一つ、日本の代表選手選考についてお話ししたい。ルールが厳しくなったため、小さなアクシデントが起こった。2020年に実施されるはずだった東京大会では岡田、松本の二人の選手が内定を得ていた。しかし開催が1年延期となったため、二人の選手が実力を落としていないかを見極めるため再度試合を行い、基準の点数をクリアすればそのまま決定することにした。ところが松本選手がクリアできなかった。
そこで残り1枠を決定するため、松本選手と若手の島田選手の一騎打ちを行うこととなった。結果は島田選手の失格負けであった。点数では勝っていたものの、試合後のウエア検査がごくほんのわずかだが基準を下回っていたためである。検査室のエアコンが非常に強く効いていたこと、検査役員への礼儀から早くからウエアを脱いで入室したことが原因と見られる。せめて検査直前までウエアを着ていれば結果は違っていたのではないかとある役員は語っている。

オリンピックのレガシー

東京大会で残された、このような競技団体の細かいノウハウの継承は現場のレガシーである。レガシーと言えば競技施設の問題もある。例えば海の森というカヌーとボートの水上競技場ができた。海の近くであるため、波が高くなるとどうかという問題はあるが、両競技団体にとっては大会のみならず練習や合宿もできる施設として歓迎されている。
その他、都市施設、メディア、医科学、用具、教育等様々な分野でもレガシーが残されている。またスポーツ一般に対する生涯スポーツという考え方にも影響を与えたと言える。

一方IOCにとってのレガシーもある。オリンピックの価値を維持するあらゆるものがIOCにとってのレガシーであるが、具体的なものの一つとしては映像がある。オリンピックで撮られた映像は実はIOCのものである。この映像を使用する場合はIOCにお金を支払わなければならない。映像はIOCにとって金銭価値のある貴重な財産なのだ。
したがってオリンピックを中止するか開催するかはIOCにとって現実的な問題でもあった。1992年のバルセロナ大会以降開会式は夜に行われるようになった。光を効果的に使える派手な演出が可能になり、映像の商品価値がぐっと高まった。開会式がエンタメ化した。これがIOCの収入増につながっている。

スポーツ映像の進化についてもお話ししたい。ベルギーのEVS社がスローモーションを実際のプレーを録画しながら再生する画期的なソフトを開発した。視聴者を飽きさせず画面にくぎ付けにするため、音声よりも映像を重視する傾向が強まっている。例えばリオオリンピックでの内村選手の鉄棒では解説は少なく、効果的なスローモーションのカットが瞬時に何カットも映し出されている。また実は点数の発表は放映権を持っている米国NBCのプロデューサーが最高潮のタイミングで審判に「出せ!」と合図して掲示される。映像を魅力的にするための台本に沿っているわけだ。

最後に

三木清が幸福と成功について次のように書いている。
「古代人や中世的人間のモラルのうちには、われわれの意味における成功というものは何処にも存しないやうに思う。彼らのモラルの中心は幸福であったのに反して、現代人のそれは成功であるといってよいであらう。成功するといふことが人々の主な問題となるやうになったとき、幸福といふものはもはや人々の深い関心でなくなった」

スポーツの世界でも本当にこういうことが言える。しかし成功に向けて進みながらなお、振り返って幸福な日々であったかどうかを大切にしたいと考える指導者がいる。
スポーツの勝負で、細かなところを何か一つ落としてしまうと失うものがあるかも知れない。それを失わなかった時に、振り返って「ああ幸せだった」と言えるのではないか、そんなオリンピックだったような気がする。

(関東地区幹事:中田徹)



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