行事報告

2017年04月28日 行事報告

2017年4月度関東地区社友会例会行事報告

日時 2017年4月28日(金)12時より
場所 丸紅東京本社(東京日本橋タワー)23階大会議室
講師 千田嘉博氏
演題 「信長の城から見た天下統一」

 2017年4月度の関東地区月例会では、NHKの大河ドラマ「真田丸」で城郭考証を担当されたほか、歴史番組の解説などでも大活躍の、城郭考古学者、奈良大学の千田嘉博教授をお招きし、「信長の城から見た天下統一」と題して、最新の研究成果から見えて来た、信長の城づくりが近世社会の成立に果たした役割について、お話をして頂きました。近年、空前のお城ブームと言われる中、数々の城郭に関するイベントが開催され、「城ガール」と呼ばれる熱烈な女性ファンも増えていますが、我が社友の中にも城郭ファンは多いようで、会場は120名を超える参加者で、ほぼ満席の状況でした。


姫路城の雄姿

 千田先生は、城郭考古学というジャンルを確立された、この分野の第一人者ですが、そもそも古文書などの文字史料を解読することが中心だった歴史研究の手法と文字のない時代を研究する考古学の手法との隙間を埋める、或いは、その双方の架け橋となるものが、「城郭考古学」と呼ばれる分野であったということです。お城を巡る古文書には、政治上・軍事上の観点から秘密が多かったり、往々にして勝者の視点でのみ記述されたものも多いため、通説の中には、事実が捻じ曲げられていたり、誤解が交じっていることも多くなります。そこで、お城の構造や築城の経緯について、文献を読み解くばかりでなく、元々考古学の手法であった発掘調査を通じて、少しでも歴史の真実に近づくという作業が必要となり、実際に発掘調査の結果、それまでの通説を覆すような新発見に繋がることもあるそうです。そんな歴史に埋もれた真実を探し求めるのが、城郭考古学の意義ということなのではないでしょうか。近年、そんな発掘調査が進んだ結果、歴史を実感できる復元が可能になって来ていると、先生は仰います。その一例が、今回のご講演のテーマである、信長が建てたお城の数々ということでもあります。


 信長が最初に建てたのは、「小牧山城」ですが、この城を使用したのは、美濃攻めが終わるまでの僅か4年間のみであり、従来は、戦時に急造された砦程度のものだったのではないかとも言われていました。それが近年の発掘調査により、山腹からつづら折れにした本丸南の大手道に、山そのものの岩盤も一部利用した、当時では革新的かつ本格的な石垣の跡が見つかるなど、予想を超える堅固な造りとなっていたと分かって、清須に代わる新たな拠点としての本格的な城郭の役割を持っていたと考えられるようになりました。

 信長が次に造ったのが、美濃斎藤氏の「稲葉山城」を奪取した後、その縄張り(編集部註:お城を造るための基本設計)を新たにして造営した「岐阜城」ですが、このお城の特徴として、山麓の公の館と家族とともに住んだ山上の私の城を使い分け、信長だけが高い山城に暮らしたことで、自らを隔絶した存在と位置付けました。同時代の戦国大名と比べても特異で、信長の意志が表れています。


 信長が次に建てたのは、「安土城」ですが、小牧山城と同様の大手道の設計にしていました。さらに天主台から天主の一部が張り出した「懸け造り」と呼ぶ構造にしていました。実は、天主台石垣の西側直下に礎石が並び、石垣を覆うように建物が建った様子が発掘で判明しているのです。天守を背景としたテラスのような構造と推測され、テラスに立った信長の姿は、下から見上げる家臣たちにとって、まるで神のように見えたのではないでしょうか。

 信長が城造りに込めた思いやコンセプトは、その後の秀吉に受け継がれ、大坂城や京都の聚楽第・伏見城の造営に活かされました。そして、それらの集大成となったのが、家康の城造りであり、天下人の居城としての江戸城でした。その天守は、高さ68mにも及ぶと推定できます。さらに、先ごろ松江市で発見された「江戸始図」により、その天守は、大天守・小天守が連立した造りとなっており、本丸の出入り口は5重の外枡形を重ねた堅固な要塞だったと分かりました。一方で、本丸の北側には東国の武田氏や北条氏が得意とした「馬出し」と呼ぶ、堀の対岸に設けた出撃用の空間を3重に重ねた出入口を持ち、西日本の城づくりと東日本の城づくりを融合した城だった点が特徴でした。その意味で、信長が目指した天下統一を、城として完成させた江戸城は、まさに「城の集大成」だったと、先生は仰います。

 それにしても、信長の先見性、革新性には目を見張るものがあります。歴史にIFはないと言いますが、もし本能寺の変がなかったら、日本の歴史は大きく異なったものになっていたのではないかと、思わず考えてしまいます。千田先生がお城に興味を持たれたのは、中学時代に友達同士で当時お住いの名古屋から瀬戸内に旅行に出掛けた際に、たまたまJR姫路駅の正面に聳え立つ姫路城の優美な姿を見て感動し、旅行から戻って早速、図書館で史料を調べ始めたのがきっかけだそうです。若く柔軟な心に響いた感動が、その後の人生を決めた好例と言えるかも知れません。壮麗な中世の日本のお城、そしてそれらを通じて辿るロマン溢れる歴史の旅、楽しくも有意義な1時間余りのご講演でした。



(関東地区幹事:市村 雅博)


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