行事報告

2018年06月25日 行事報告

2018年6月度関東地区社友会例会行事報告

日時 2018年6月25日(月)12時より
場所 丸紅東京本社(東京日本橋タワー)23階大会議室
講師 刈屋富士雄氏(NHK解説委員室 解説主幹)
演題 「大相撲界、スポーツ界の今、そして未来」

 2018年6月度の関東地区月例会では、ちょうどサッカーのワールドカップ(W杯)ロシア大会1次リーグの真っ最中で、超ご多忙のNHK解説委員室解説主幹、刈屋富士雄氏をお招きし、「大相撲界、スポーツ界の今、そして未来」と題して、スポーツ界の興味深いお話を存分にしていただきました。  

 刈屋氏は、1983年にNHKに入局、35年間、スポーツアナウンサーとして29競技の実況を担当、オリンピックは夏冬合わせて8つの大会を現地から実況中継し、日本選手の活躍を熱く伝えて来られ、昨年からは、解説委員専任となっておられます(講演の翌日も、朝のNHKニュース「おはよう日本」で、札幌の冬季五輪招致について解説されていました)。今回の講演では、スポーツアナウンサーの視点から、大相撲を中心に豊富な現場取材に裏打ちされた数々のエピソードを交えて語っていただき、出席した100名を超える社友の方々も熱心に聞き入っていました。  

 以下は、講演の概要です。

 先ず、熱戦が繰り広げられているサッカーのW杯ロシア大会について(講演当日の段階で、日本は1勝1分)、日本の一次リーグ3連敗を予想していた。外国の監督を招聘しておいて直前に交替させたのでは、応援しづらいメンタリティーがあったし、チームスポーツはまとまっているかどうかが大事であるにも拘わらず、監督交代後時間もなく、予選の相手も強豪ばかりなので、勝ち目が無いとみていた。今後に向けては、また外国の監督に任せていいのか検証が必要。日本サッカーのレベルをもう1ステージ上げるためには、今後4年間かけてチーム作りをしていく必要があるのではないか。

 最近のレスリング界のパワハラや日大アメフト部の反則行為問題など、スポーツ界の不祥事に関しては、ニュースの取り上げ方に疑問を感じる。視聴率を上げるために視聴者の関心があるからといって、トップニュースとすべきテーマかどうか?重要なのは、これは特異なケースでもなく、どこでも起こり得る話であり、オリンピックを契機にスポーツの指導の在り方を見直していかないと駄目ということ。こうした問題が起きるのは、日本のスポーツが「体育」から始まり、上下関係で教えていくことが基本となっているから。本来スポーツは自らやって楽しんでいくもの。現在は大学の選手がそのまま指導者となっていく。プロではなくOBが空いている時間で後輩を指導するところから、体罰や理不尽なことが起こる。この連鎖を断ち切らないと、日本のスポーツ界は変わっていかない。子供のころから好きなスポーツを複数経験することも必要だろう。

 大相撲界の話題については、先ず日馬富士の暴行傷害事件に始まる一連の騒動ではマスコミ情報の嵐だったが、中には事実でない話や古い話も多い。ワイドショーなどは間違ったことを流しても後から訂正しない。実際のところ、ここまで取り上げられるのは、貴乃花本人の意図でもなかったと思う。一方で、協会理事としての責任を果たさない貴乃花の行動や、マスコミ対応、場所中の自分の弟子の暴行事件に対しては許しを乞うような態度に、全親方が激怒した。公益法人である相撲協会は、貴乃花との契約解除もできたが、貴乃花がひたすら謝罪したので協会に残した。弟子が暴行事件を引き起こしたことで、貴乃花もようやく自分の立場に気づいたということ。当初、貴乃花は相撲道を守っていこうと二所ノ関一門を離れ、貴乃花一門を作ったが、今回、貴乃花一門が消滅するということは、あらゆる面で一門の存在が大きい相撲界では大きな損失。ただし、貴乃花本人は約束だけは必ず守る人間なので、最後は信用している。

 外国力士が増える中で、懸念されるのは、相撲の「品格」が薄れること。外国の力士も日本の伝統を守ってくれてはいるが、「散り際」や「名こそ惜しけれ」といった力士の生き方・美学が分からなくなってきている。相撲界はこれまでもいろいろ問題が出てきたが、1,500年もの間、民衆に支持されてきた。何年も鍛え抜いた体で、すべての力を出し切ってぶつかっていく姿を、日本のファンは見放さないと思う。

 講演の終盤、大相撲ファンなら記憶に残る歴史的な土俵の中から、刈屋氏は以下の三番を挙げ、各力士の土俵上の人間味ある心理状態について、当時の直接取材をもとに詳細に解説されました。残念ながら紙面の都合もあり、ここではご報告しませんが、大変興味深いお話でした。

  1. 千代の富士が、千秋楽の横綱対決で大乃国に54連勝を阻止された一番(1988年)  
  2. 貴乃花が、怪我を押して武蔵丸との横綱同士の優勝決定戦で勝利した一番(2001年)  
  3. 朝青龍が、大関魁皇を破り史上初の7場所連覇を達成した一番(2005年)

 最後に刈屋氏は、大先輩であるNHKのスポーツアナウンサーお二人に関する逸話として、1943年、和田信賢氏(双葉山の連勝記録が69で止まった時、実況中継をしていたアナウンサー)が学徒出陣をラジオで生中継する予定であったものを、体調不良のため、急遽、志村正順氏(野球人以外で野球殿堂入りした初のアナウンサー)が実況を担当したというエピソードに触れました。後になって、和田氏の体調不良は、若者を死地に行かせる実況をしたくないということが理由であったという事実を知った志村氏は、落ち込んでNHKを辞め、隠遁。30年ぶりに野球殿堂入りを祝うパーティに出席された志村氏は挨拶の中で、「国民を戦地に行かせるような報道はするな、NHKに向けてではなく、聴いている人のために実況していけ、これが自分の遺言だ。」と述べられたとのこと。本日の講演の締め括りは、「スポーツアナウンサーも、そういう思いを引き継いでいる。」という印象深いお話でした。  

 オリンピックの大舞台を現場から何度も実況中継され、我々視聴者に深い感動を伝え続けてきた刈屋氏のスポーツ界に関するお話は、「NHKではスポーツは報道である」との自負が随所に感じられ、出席した社友の方々も大いに感銘を受けたものと思われます。  

 余談ですが、出席者の質問にお答えいただいた中で、TVのスポーツアナウンサーにとって難しい実況放送は、大相撲と阪神タイガース戦とのこと。何となく理解できるような気がします。





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