6月の月例会は、丸紅顧問であり、元中国大使・元フランス大使の木寺昌人様をお招きし、「私の経験を語ります」と題してご講演いただきました。
木寺様は1976年に外務省に入省され、フランス語を専門として大臣秘書官、在外公館、局長級ポストなどを歴任、中国大使、フランス大使を務められました。退官後は、丸紅社外取締役や企業・財団の役職など、多方面でご活躍されています。
| 日 時 | 2026年6月2日(火)14:00~15:30 |
|---|---|
| 場 所 | 丸紅本社4階 04A02会議室 |
| 講 師 | 木寺 昌人 氏(丸紅顧問・元中国大使/元フランス大使) |
| 演 題 | 「私の経験を語ります」 |
木寺昌人氏のご講演
私は外務省ではフランス語を専門とし、フランスのENA(※1)で学びました。
現在、ENAは廃止され、その後継機関としてとしてINSP(※2)が設立されています。
丸紅株式会社は、ENAの時代から毎年数名の研修生を受け入れており、2025年にはINSPからも2名の研修生を招へいしています。現在では「なかなか参加できない」と言われるほど人気の高いプログラムとなっています。私自身も、来日した2名の女性研修生とお会いする機会を得ました。
(※1 )ENA:École Nationale d’Administration。フランスの行政官など公共セクターの幹部人材を養成してきた教育機関。2022年に廃止。
(※2 )INSP:Institut National du Service Public。2022年にENAの後継として設立された国立公務学院。エリート主義の是正と、より実務的なスキル重視の教育を目的としている。
私の役人人生で決定的だったのは、橋本内閣で梶山静六官房長官の秘書官を務めた経験です。梶山さんは内閣の要で、決裁や指示が次々と舞い込み、「イチロー選手の打率を上回っている」と冗談が出るほど怒鳴られ毎日判断が求められました。その中で「政治の重さ」「スピード感」「決断のタイミング」を骨身にしみて学びました。「毎日百万ボルトの電撃を浴びていた」という表現は誇張ではありません。
その後赴任したタイでは、丸紅バンコク支店長の椿輝夫さんが日本人商工会議所の会頭を務めておられ、経済公使として私も商工会議所に関わりお世話になりました。当時アジア通貨危機の真っ只中で、日本企業も大きな打撃を受けていました。現地企業から「大臣に状況を確認してきてほしい」「この局長に事業継続を掛け合ってほしい」といった要請が次々に寄せられ、私は頼まれたことは全部やりました。
タイでの経験を通じて「官民連携」「官民一体」を頭ではなく体で覚えました。後年の中国・フランス勤務を支えたのは、このときの「現場感覚」だったと思っています。
2000年から2012年の12年間に12ポストを経験し、外務省ではこういう人は偉くならないとよく言われましたが、「誰より多くの人と一緒に仕事をしたこと」が私の取り柄だと思っています。
2012年、中国大使就任の話が突然降ってきました。直前に同期の西宮伸一君が中国大使に任命されましたが、病に倒れ、その後亡くなりました。そういう場合後任は1~2か月かけて検討するのが通例ですが、11日目には「お前が行ってくれ」という話が来ました。
私は中国課首席事務官の経験はあるものの、中国語はできない、中国勤務経験もない、大使経験もない「三ない」木寺です。もっと適任者がいるはずだと抵抗しましたが、玄葉光一郎外務大臣から「あなたが行くのだ」と明言されました。
「一晩ください」と言って家内に相談したところ、「あなたが考えた通りにすればいい」と背中を押され、翌日「行きます」と大臣に伝えると喜んでくれました。
当時は尖閣諸島国有化直後で反日デモが連日報じられ、日本車ディーラー襲撃の映像も流れていました。赴任前、丸紅の勝俣会長から「尖閣は百年かかっても構わない。しっかりやってくれ」と激励され、朝田社長からは「中国が輸入する大豆5,000万トンのうち1,000万トンを丸紅が扱っている」と聞き、日中経済関係の重みを感じました。
2012年12月25日に着任しました。着任早々、中日友好協会会長主催の歓迎宴で、食事前に別室に通され「唐家璇のお説教」と私が呼ぶ説教タイムが40分ありました。「日中関係を悪化させたのは日本で、中国は悪くない。日本は尖閣国有化を悔い改め、中国の示す方向に共に歩むべきだ」と延々続きました。
私は一段落を待って、「日中関係悪化の責任はすべて日本にある」という点は「全く受け入れられない」と明確に伝えました。本来友好推進役である会長からああ言われ、「相当厳しい任務だ」と改めて感じました。
前任者が夜中2時に外交部へ呼び出されたと聞き、着任直後に「外交部には夜中には行かない」と明言しました。深夜に「すぐ来い」と電話があったときも、「絶対に行きません。おっしゃりたいことは電話でどうぞ」と粘り、最終的に「では明日でいい」となりました。外交ではこうした粘り強さが大切です。
2013年12月26日、安倍総理の靖国参拝時には、王毅外交部長の抗議を受けました。中国では会談写真一枚が「日本が謝罪した」というストーリーで流されかねません。私は抗議を受ける場では、①姿勢を良くする(猫背にならない)、②目線を水平より上に保つ、③無表情を貫く(にこりとも困り顔もしない)という三か条を自分に課しました。かがんだ写真を撮られ「頭を下げた」と報じられれば、私の責任になります。私は王毅外交部長に「在留邦人がまた反日デモが起きるのではと大変心配している。必要な措置を講じてほしい」と伝えました。返事は「やるべきことはやる」という役人的なものでしたが、これを逆手に取り「非常に前向きな返事をいただいた」と邦人社会に伝えました。
実際には、日本企業の入るビル前にパトカーが常駐し、大使館・公邸周辺には警備車とバリケードを積んだトラックが並び、北京では反日デモは一度も起きませんでした。中国としても北京でデモを許せばどう変質するかわからないという恐怖心があったのだと思います。
2014年11月の北京APEC首脳会議では、日中首脳会談実現が大きな山場でした。谷内国家安全保障局長の度重なる訪中と楊潔篪国務委員らとの協議の末、ようやく会談が実現しました。
会談直前の総理勉強会で助言を求められ、私は安倍総理に一つだけ、「習近平主席は握手してもすぐ手を離そうとされると思います。写真を撮り終えるまで決して手を離さないでください」と申し上げました。実際、カメラマンの指示の下で総理は手を握り続け、あの有名な「仏頂面の習主席と握手する安倍総理」の写真が生まれました。
2015年5月には、二階俊博総務会長率いる3,000人訪中団が北京を訪れ、「中日友好交流大会」が開催されました。桜吹雪の背景パネルの前で習近平国家主席が中日友好を演説し、全国紙はこの写真を一面トップで掲載しました。「14億の国民が『今日から中日友好を語ってよい』と理解した」と私は受け止めました。中国は小刻みではなく大きく舵を切って方向転換するのが特徴です。尖閣から実に2年8か月、現在は中国の核心である台湾問題でもっと時間がかかるかもしれないが、高市内閣には非公式でもコミュニケーションを保っていただきたいと思っています。
中国大使は通常「外交官最後のポスト」と見なされますが、2016年初めにフランス大使への内示がありました。私を北京に送った玄葉前外相が岸田外相に「木寺を中国で終わらせてはいけない」と働きかけてくださったと聞き、ありがたく思いました。
フランスでは、就任間もない39歳のマクロン大統領と航空ショーやル・マン24時間レースなどを通じ関係構築に努めました。ル・ブルジェ航空ショーでは、自衛隊の対潜哨戒機P-1を視察に訪れたマクロン大統領と初めて公式に顔を合わせました。
ル・マン24時間レースでは、トヨタの豊田章男社長がマクロン大統領を表敬するにあたり、大使公邸で事前に説明し、B4の紙に「フランス側に伝えてほしいポイント」を書いてお渡ししました。後日、会談がうまくいったと聞き、ホッとしました。
2018年の「ジャポニスム2018」では、伊藤若冲展、縄文展など多くの文化イベントが成功しました。村上春樹さんの『海辺のカフカ』の舞台前トークでは、観衆の質問に答えてどうやって小説を書くか、などを語っていたのが印象的でした。
フランスは日本に次ぐ漫画出版国で、『キャプテン・ハーロック』『キャプテン翼』『ドラゴンボール』『ONE PIECE』など日本の漫画・アニメが広く受け入れられています。「同じ漫画を見て育った者同士は分かり合える」というのが実感です。マクロン大統領も漫画世代で、直近の高市総理との共同記者会見の最後に、高市総理の「かめはめ波」ポーズにすぐ応じていました。
2023年12月には日仏協力ロードマップが公表され、防衛・安全保障、経済、文化など幅広い分野で協力が整理されています。インド太平洋での日米英仏の海軍共同演習や日仏陸軍の共同訓練など、防衛協力も進展しています。フランスと日本は特別なパートナーシップにあり、今後も重要な関係であり続けると考えています。
日中の経済関係は依然として極めて重要で、大使時代には一度も登場しなかった「戦略的互恵関係」という言葉もまだ生きていると考えています。「嫌中」「媚中」といったレッテル貼りはやめ、正しく向き合う、良いところは良い、悪いところは悪いと率直に言うことが大切です。
一方、アメリカとヨーロッパの関係も変質しつつあります。NATOで何か起きてもアメリカは来ないかもしれないという議論がヨーロッパ各国で真剣に行われています。マクロン大統領は「アメリカの核抑止に期待できないのであれば、フランスとイギリスの核抑止でヨーロッパを守るしかない」と発言し、「欧州版核抑止」の議論が始まっています。ポーランドやノルウェーなど複数の国が参加の意向を示しています。
在独米軍の一部削減も表明されました。日本はロシア、北朝鮮、中国に近接しており、アメリカにとって簡単に退けない場所ですが、ヨーロッパで起きていることが将来アジアで起きないとは限りません。日本のメディアは欧米関係を十分報じておらず、自ら情報を取りに行かなければ全体像は見えにくい状況です。
トランプ氏のような大統領と日本がどう向き合うかを考えると、何より大切なのは「変なカードを掴まされないこと」です。表向きはどんなに華やかでもかまいませんが、不利な約束だけは絶対に避けなければいけません。
私からの話は以上です。
質疑応答
<質問1>
今の対中関係は非常に冷え切っているように見えます。政府が公式に謝罪することはあり得ないとしても、日本側から何らかの対応を取る必要があるのではないでしょうか。打開のアイデアがあればお聞かせください。
<回答1>
「これをやれば一気に良くなる」という妙案はありません。ただ一つはっきりしているのは、コミュニケーションを取らなければ関係は良くならないということです。
最近の報道で、北京の金杉大使のインタビューの中に私のコメントも出ていましたが、中国政府はなかなか日本側と会おうとしないようです。私の1年目も同様かそれ以上に厳しい状況でした。
外交部とは骨太の議論ができず、権限も限られています。実際の外交方針は党の外交小組が決めており、そのレベルで話をするしかありませんが、そこに王毅氏しかいないのは日本にとって不幸で、彼は日本にとって良いことを自分からは言わないでしょうし、「親日派」と見られたくないのだと思います。
それでも日中関係を良くしたいという意思は中国側にも確実にあります。ですから、公式ルートに限らず非公式の接触を重ねる、非公式でよいチャンネルを探し、維持していくことが非常に重要だと考えています。
<質問2>
日本のメディアはアメリカや中国についてはある程度報道しますが、ヨーロッパが日本をどう見ているかはほとんど報じられていないように感じます。フランスを中心に、ヨーロッパから見た日本はどのように映っているのでしょうか。
<回答2>
フランスで日本がどう報じられているかは、昔と今で大きく異なり、現在は日本がずっと身近な存在になっています。以前ならパリ・サンジェルマンの欧州チャンピオンリーグ優勝のニュース一色になるところ、一日経つとソフトバンクの孫さんの約14兆円のデータセンター投資など、日本関連ニュースが大きく取り上げられています。
私は「フランス・アンフォ」というニュースラジオをよく聴きますが、「これは明日あなたの近くでも起こるかもしれない」と言って、日本の事例を紹介します。
高知県の人口減少対策や、スマホばかり見ている客に退店を促すラーメン店がある話など、具体的な例を通じて「日本で起きていることはあなたの生活にも近い」と伝えています。日本とフランスの距離は昔ほど遠くありません。
また、食事の間にも日本の建築家の話題になるなど、それくらい日本の建築や文化に関する知識がヨーロッパ側にも広がっていると感じています。
<質問3>
社外取締役として丸紅に在籍された5年間、また現状も顧問としてどのような視点で会社に関与・助言されていたのか教えてください。
<回答3>
少し答えにくいご質問ですが、率直に申し上げます。
まず「取締役会の実効性評価」という仕組みがあります。取締役会がちゃんと機能しているかを測る試験のようなものです。丸紅の取締役会は、議長である國分会長のもと大変自由な雰囲気で、必要な議論はきちんと行われている印象でした。私としては「有意義で実効性のある取締役会」だったと感じています。
ポートフォリオの入れ替えもかなり行いました。大小さまざまな案件がありましたが、全体として入れ替えが進んだことで企業価値は着実に向上したのではないかと思います。制度面の整備も含め、企業価値を高める意思決定を後押ししてきたのではないでしょうか。
社外取締役として在籍した5年間は、私にとっては非常に良い時間でしたし、丸紅にとっても意味のある期間だったと感じています。