日 時 | 2015年6月26日(金) |
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場 所 | 丸紅東京本社16階講堂 |
講 師 | 杉浦勉氏 |
演 題 | 「ブルキナファソの国柄と日本の経済協力」 |
今回の講演会では、講師として社友の杉浦勉氏をお招きし、同氏が当社退職後に初代の日本大使として赴任された、西アフリカ、ブルキナファソのお国柄や同国に対する日本の経済協力の話に加え、我々が知らない種々の事柄についてお話し頂きました。
杉浦氏は、1971年入社、物資部に配属され、79年に調査部に異動された後は、長らく経済・産業調査のお仕事を専門にされましたが、その傍ら、ご自身の西洋絵画に対する造詣の深さを武器に、丸紅所蔵の美術品群、いわゆる「丸紅コレクション」の整備・充実に大きく貢献されました。特に社内報「まるべに」において美術解説を続けられたことにより、その方面でも社内有数の有名人となられました。そのため、講演の前後には多くの社友との間で、旧交を温め合うシーンが見受けられました。
冒頭、「今日はなるべく映像を使ってご説明をしたい」ということで、美しいメロディのブルキナファソの国歌をバックグラウンドに流しながら、大統領官邸の映像から講演が始まりました。歴史を辿ると、この国は19世紀末にフランスの植民地となり、1960年に、オート・ヴォルタとして独立しました。その後、分割、統合を繰り返しましたが、1984年の軍事クーデターの後、国名をブルキナファソと改称したそうです。因みにブルキナファソとは現地語で「高潔な人々の住む国」という意味だそうです。
続いて、杉浦氏が赴任当初驚いたことについて紹介がありました。(その1)鶏卵の黄身が「白い」(後で分かったが、鶏の餌の草の栄養価が低い為らしい)。(その2)現地有名人の豪邸の屋根が新築間もなく風で吹き飛ばされた。(その2)自分の入った完成間もない大使公邸で雨漏りが起きた。(その3)同じく大使公邸でちょっと体重を掛けたら洗面台が傾いた。〔2,3,4,に共通する杜撰な工事。しかし、気候変化が激しい関係で木製品は維持・管理が難しい面もある。〕(その5)夜間に街灯の前で座り込む少年・少女(当初は気味悪く感じたが、電力事情が悪く、個人宅では明かりが十分でない為、街灯の下で読書したりしていることが分かった。ある意味では「蛍雪時代」のような光景。)
その後、ブルキナファソの国土、気候、近代史について説明がありました。ブルキナファソは63の民族が存在する多民族国家です。民族ごとに使用言語も異なるため、共通語としてフランス語を使用しています。
今、国として取り組んでいるのはSCADD(持続的発展成長加速戦略)で、地方分権化プロセスの加速は国家の重要な課題との位置づけとのことです。
次に、日本との関係では、2013年に横浜で「第五回アフリカ開発会議(TICAD V)」という、日本で開催されたアフリカ関係の会議としては最大規模の国際会議が開催され、この会議の宣言文書に沿って援助が進められているとのことです。その基本的なコンセプトは、援助に際して、直接的な援助に加え、「魚を与えるのではなく、釣りの仕方を教える」という、アフリカ自身の経済自立を促すような支援が重要であるというものです。そのような技術援助を含む教育や農業、環境対策等が中心ですが、緊急時の食糧援助も行っていて、コメや小麦のほか、最近では食糧不足となる乾期に3万5千トンの収穫が期待されるトウモロコシの種が贈与されたそうです。
また、丸紅との関係では、首都ワガドゥグーで行われた、SIAOという国際工芸見本市の際に、江戸/明治の衣装の貸出展示が行われました。この見本市には30万人もの来場者があり、開会式にはブルキナファソの首相も参加した一大行事だったそうです。また、現地ではパソコンが不足しており、これに協力するために丸紅大阪支社で使用済みとなったPC50台が贈呈され、現地の行政、教育等各種機関で活躍しているとのことです。
その後、現地の観光、文化、工芸品の紹介がありました。中でもマスク(仮面)を被った踊りなどは首相自らも踊る程なじみ深いものだそうです。また、料理はトウモロコシや雑穀の粉をベースに突いたり練ったりしたものが主食で、それに色々なソースで味つけをして食べます。裕福な家庭は別として、鶏肉などの肉類は特別の時くらいで、村民たちの食べ物の種類はあまり多くないとのこと。スポーツではアフリカカップで活躍したサッカーが盛んですが、その他に現地流の相撲があります。直径15メートルくらいの円の中で勝負しますが、レスリングのように相手の背中を地面につけないと勝ちにならないルールだそうです。
最後に、「昨年10月、27年に亘り大統領を続けていたコンパオレ政権が、長期政権に対する国民の不満を背景とするクーデターの結果、終焉を告げた。今年10月に新大統領選挙が行われる予定だが、これが平穏に実施され、同国の更なる発展に繋がることを祈っている。赴任当初はびっくりすることも多かったが、4年間過ごすうちに愛着も生まれ、昔の日本のような懐かしさを感じている。また機会があれば訪問したい。」とのことでした。
丸紅の現役時代と変わらない、杉浦氏の終始やさしい表情、やさしい語り口が印象的な約1時間の講演でした。
(文責:川副 信二)