日 時 | 平成28年5月17日(火)11:30~14:30 |
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場 所 | 「徳川美術館」名古屋市東区徳川町1017 |
5月17日、中部地区社友会の5月度例会が、名古屋市内の「徳川美術館」にて開催されました。
宝善亭での昼食会には、25名の社友会員に加え、丸紅名古屋支社より熊木支社長以下5名の現役の方々のほか、徳川館長、市橋副館長にもご参加頂き、32名での楽しい昼食会となりました。
昼食会の冒頭、熊木支社長、徳川館長よりご挨拶を頂き、和やかな昼食会の後は、市橋副館長の丁寧なご説明を聞きながら、館内の展示物を鑑賞して回りました。
主な展示内容は、以下のとおりです。
刀剣類の中では、国宝「短刀 銘 吉光 名物 後藤藤四郎」、重文「刀 銘 本作長義」、重文「脇差 無銘 貞宗 名物 物吉貞宗」、名刀「脇差 銘 吉光 鯰尾藤四郎」(オンラインゲーム「刀剣乱舞(略称:とうらぶ)」で人気沸騰中)など、4振りが展示されていました。
名古屋城二の丸御殿にあった「猿面茶室」が復元されています。
名古屋城二の丸御殿の「広間」と「鎖の間」の一部が復元されています。
名古屋城二の丸御殿の能舞台が原寸大で復元されています。
「国宝 初音の調度」、三代将軍家光の長女で、尾張徳川家二代光友に嫁入りした千代姫の婚礼調度(日本一豪華な嫁入り道具)が展示されていました。
尾張徳川家が所蔵した「国宝 源氏物語絵巻」3巻の複製・映像を中心に展示されています(原本展示は極めて短期間に制限されており、特定時期のみの展示となります。本年11月には、開館80周年記念として全場面が公開されます)。
館内展示物の鑑賞後、講堂にて徳川館長に、「文化を守る」という演題にてご講演を頂き、最後の殿様とも言われた、尾張徳川家19代徳川義親の足跡が、ユニークな逸話とともに紹介されました。講演の内容は、以下のとおりです。
「徳川美術館」は、侯爵徳川義親(尾張徳川家19代当主:越前福井藩主松平春嶽の五男)の寄贈に基づき、昭和10年(1935年)に開館しました。その収蔵品は、徳川家康遺愛品の「駿府御分物御道具帳」をはじめ、尾張徳川藩主家の伝来品など、記録資料が残っていて由緒伝来が解る品々ばかりで構成されていることが特徴で、国宝9件、重要文化財59件、重要美術品46件を含む、1万数千件に上る美術品が収蔵されています。
多くの旧大名家伝来品は、明治維新後の混乱や第二次大戦での戦災と戦後の財産課税の影響で売却されたり、喪失、散逸が進みましたが、そんな中、尾張徳川家では、19代義親の先見の明により、早い時期(1931年)に「財団法人 徳川黎明会」が設立され、私立美術館としての「徳川美術館」の開館につながりました。
旧尾張徳川家の入植地、北海道八雲町(北海道二海郡八雲町)では、義親自身がヒグマ被害除去のため熊狩りを行い、アイヌの人たちとの熊祭りに参加していました。その後、転地療養のために訪れていたマレー半島で虎狩り・象狩りに興じたところ、日本で大袈裟に報じられて、「虎狩りの殿様」と通称されました。また、大正12年(1922年)のヨーロッパ訪問時にスイスのベルンで購入した土産物の木彫りの熊を参考に、八雲町の冬の殖産事業として奨めた「八雲の木彫り熊」が、現在の「北海道の木彫り熊」の始まりとなったと言われています。
大正15年(1925年)、「源氏物語絵巻」(尾張徳川家所蔵3巻)の複製製作に着手。昭和2年(1927年)、小牧山を国に寄付。昭和6年(1931年、大曾根屋敷(現:徳川園)を名古屋市に寄付。昭和17年(1942年)、最高軍政顧問としてシンガポールに赴任、現地で博物館長、植物園長に就任した際には、貴重な文化財を戦禍・略奪から守るべく、一部英国人捕虜の協力も得て文化財の保全、調査、研究に尽力、戦後それらを無傷にて英国(当時シンガポールを植民地支配)に返還しました。
義親は、大学で植物学を専攻し、卒業後に「徳川生物学研究所」を設立しました。また、思想信条に捉われることなく、戦後は、日本社会党の結成を援助したほか、日ソ交流協会長、日本音楽文化協会会長、日本猟友会会長、日本聾唖連盟総裁、日本理髪業協会名誉会長等々、多くの公的・私的代表職・名誉職に就任しています。また、交流の範囲は広く、アインシュタイン、ヘレン・ケラー、吉田茂等の各界著名人とも交流がありました。
国宝の「源氏物語絵巻」は、尾張徳川家初代義直の時代に入手したもので、明治44年(1911年)に初めて一般に公開されました。義親が手掛けた最初の複製は、田中親美による肉筆模写で、10年の歳月を掛けて、昭和10年(1935年)に完成(田中親美本)しました。昭和17年(1942年)、川面義雄の製作で「木版印刷」に着手、戦中の混乱期を経て、戦後には絵の具・金銀などの材料が払底して、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の特別許可を取得するなど、数々の困難を乗り越えながら、昭和34年(1959年)に徳川本が完成、昭和38年(1963年)に五島本が完成したことで、ついに徳川黎明会の事業として源氏物語絵巻全4巻の木版複製が完成しました。
没落華族(旧大名家)の生活ぶりをよく見ていた義親は、大名文化を後世に伝えようとしました。「文化を守ることは平和を守ること」の思いで、文化の保存を通じて平和の尊さを伝えたのではないでしょうか。
講演終了後、徳川館長も入られて、ご出席の皆さんと記念撮影を行いました。
前夜からの雨が早朝に上がり五月晴れの天気にも恵まれて、講演終了後は、隣接の「徳川園」の散策や「蓬左文庫」の展示物鑑賞も付け加え、午後のひと時を存分に楽しみました。
(文責:立川 賢司)