日 時 | 2011年5月17日(火) |
---|---|
場 所 | 丸紅(株)名古屋支社 9階会議室 |
新聞テレビで被災地の状況が報道され、心は痛むものの何もできない私たちは、只々現地の皆さんの健康と復興を祈る毎日であります。中部地区社友会は5月17日(火)約40名の出席者で、例会(講演会)を開催いたしました。開催にあたり、まず被災地の多数の亡くなられた方々、また中部地区社友の平井裕様(2月没)、また昨年7月のビアパーティーで、涙ながらに終戦前の愛知一中時代の"15歳の志願兵"のスピーチをいただいた、島田道敏様(4月没)の冥福を祈り黙とうを行いました。
【講演の要旨】
今回は今年4月に赴任されました小林新支社長にお願いし、前任地の"台湾の状況"についてお話しいただきました。お忙しい中、講演の為に立派な資料を作っていただき講演いただきました。
日本と台湾は歴史的にも地理的にもつながりは強く、市民レベルでの草の根ネットワークが張り巡らされている台湾の、日本人会は今年で50周年を迎えている。これを記念し今年は色々な行事が行われる予定です。もし台湾旅行を計画されるなれば、行事に合わせて訪問されることをお勧めします。
1972年以降正式国交はないものの、民間レベルで交流は盛んで台湾政府も民間交流を重視している。台湾人は好意を持つ相手国としてダントツ52%が日本であり、第二位がアメリカの8%である。特に2005年名古屋万博での台湾人観光入国ビザ免除後に、親日度が急上昇したように思われる。今回の東日本大震災にあたり、台湾より5月上旬で150億円の義捐金が集まっている。台湾人は日本統治の50年間を高く評価している。3代目までは平定に大変苦労したが4代目児玉源太郎総統、後藤新平民政長官時代に安定し、インフラの整備(日月潭電力鉄道港湾建設)、衛生、教育、蓬莱米の普及に努めた。また台湾で伝説の人として評価の高い八田與一技師は、烏山頭ダム建設を立案・指導し、彼の命日5月8日には烏山頭ダムで毎年慰霊祭が行われている。
台湾人を年代別に考察すると70~80代は日本語世代であり、昔昭和20年までは日本人であったわけで親日派といえます。50~60年代は反日教育世代で、アメリカ留学が主流であり現代社会のリーダー層と言えます。40代以降は戒厳令解除後、世代日本の現代の流行文化の影響を受けた世代と言え、親日派が多いといえます。日台のビジネス関係は太く密接であることは言うまでもないが日本から設備、主要部品が台湾に供給され、台湾は中間製品を中国に供給し、中国は最終製品にして、日本、米国等に輸出し、三カ国ともに貿易黒字を維持していると言う、トライアングルの関係が出来上がっています。又外貨準備高では世界で第1位が中国、2位が日本、4位が台湾です。又、注目すべきは、中国における外貨獲得輸出企業のトップ10のうち、6社が台湾系企業であるということです。日本と台湾のさらなる提携が今後の大陸市場開拓の成功パターンのカギと思います。日台連携による中国進出の新しいビジネスルートの可能性を提唱してゆきたい。名古屋でもお客さんに台湾進出台湾提携のお手伝いが出来ればと考えています。
以上が小林新支社長の講演の概略ですが、話の端々に台湾に対する、台湾人に対する愛情愛着が感じられました。短い期間の駐在であったとは思いますが,台湾人の懐の中に入り仕事をされてきた様子が感じられました。最後は7月20日の次回例会ビアパーティーで再会を約して解散となりました。
(文責 相崎)