日 時 | 平成21年6月22日 |
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場 所 | 東京本社16階講堂 |
ゲスト | 登山家 野口 健 氏 |
この講演会では2月に講師としては最年長の日野原先生をお迎えしましたが、今回は35歳という最年少の野口 健さんにご講演いただきました。
野口さんは世界最年少で7大陸の最高峰を制覇した記録を持つほか、ヒマラヤや富士山の清掃などの環境問題にも熱心に取り組まれていることは皆様よく御存じなので詳しい紹介は省きます(詳しくは野口さんのサイトをご覧ください)。
野口さんは想像していたよりも小柄で私たちと変わらずちょっと驚きましたが、引き締まった体は力にあふれ、休むこともなく次々と興味深いお話を、ユーモアを随所に織り交ぜながら情熱をこめてたっぷり1時間半聞かせて下さいました。次のご予定のため質問の時間が取れなかったのは心残りでしたが、出席の社友の方々は十分に堪能し、また感動を覚えられたことと思います。
【講演の要旨】
演題 「富士山より日本を変える」
自分は高校時代「荒れて落ちこぼれ」だった。その時冒険家植村直巳の本に出会い「どこにでもいそうな人だのに、がんばれば世界の第一人者なれるんだ」と気づき登山の道に15歳で入った。登山は常に危険と隣り合わせで無理はしてはならない。しかし無理をしなければ登れない。
最初私はエベレスト山頂に立った時涙が出た。うれし涙でなく怖くて出たのだ。事故は下山途中が6〜7割。遺体だらけだ。疲労で重たい使いきった酸素ボンベを捨てたくなる。私も21歳の時ボンベを3本捨ててきた。ボンベには KEN NOGUCHI と書いてある。ヒマラヤ清掃で有名になったとき、あのボンベが誰かに発見され週刊誌にでも載ったらどうしようかと悩んだ。
エベレストは美しい山だと思うだろうが、シーズンには数千人の登山家が約1ヶ月半ベースキャンプを張る。あらゆるごみが散乱している。2000年以降日本隊はきれいになったが、
かっては日中韓露のごみが多く、ヨーロッパの隊は少なかった。国の縮図を見るようだった。
自分は環境意識を持っていなかったが、あるとき外国隊が日本語のごみを見て、「それが日本人だ。ヒマラヤを富士山にするのか」といった。「よし。それなら日本人がエベレストをきれいにすれば文句ないだろう!」とヒマラヤ清掃を始めた。
はじめは山岳会などから非難もされ、シェルパからもいやな顔をされた(シェルパはカースト制の中でゴミ拾いは自分たちの仕事でないとの意識を持つ)。 ゴミ拾いといっても6,000mを超える高所は低酸素と気圧の変化で命がけ。参加したシェルパにも毎年死ぬものがいて、もう止めようと覚悟してネパールに行ったら、彼らから「エベレストからネパールを変える。これからは自分たちでやる」と言われた。彼らの街は汚かったが清掃活動に参加しきれいにすることに喜びを覚えた。
外国人のメスナという人かかって世界中に「富士さんは最も汚い山」と言い伝えた。私も富士山に登って山頂の自販機の列にびっくりした。何故に人は山に登るのか。不便だからこそ行くのではないのか。
富士清掃を始めていろいろな社会の縮図が見えてきた。市町村や県などの行政は非協力的。
富士山は静岡と山梨の2県にまたがるが両県は互いに反目。産業廃棄物投棄も多く業界も白い眼。NPOを立ち上げ民間力でやり始める。小池百合子環境大臣の時彼女が個人的に樹海清掃に参加した。近隣市町村の関係者がびっくりして駆けつけ、初めて現状を認識。最近は5合目から上は本当にきれいになっが、その下の樹海はまだまだである。
ゴミは国民性というかその国を表している象徴的なもの。
最近の私は、軍人だった祖父がいつもいっていた、「無理やり戦場に駆り出された人の遺骨がまだたくさん還っていない」ということに気付きフィリピンに遺骨収集に行っている。
沢山の遺骨が見つかっているが国は持ち帰ることをなかなか許可してくれず、やっと今年我々の団体にのみ許可が下り実現した。このことだけでも大変なことだった。国の形がこんな処にも見えてくる。
最近やっと少し落ち着き本来の登山活動もできるようになってきた。
(文責 左右津)